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五反田、「大崎」を名乗る施設が多い駅の周辺事情 地名の由来「広大な田んぼ」は今オフィス街に

東洋経済オンライン / 2024年2月14日 6時30分

2008年には駅ビル「東急五反田ビル」がリニューアルされ、ショッピングビル「remy gotanda(レミィ五反田)」に生まれ変わった。並行してJR五反田駅西口側には複合商業施設「アトレヴィ五反田(現在のアトレ五反田1)」がオープンした。

2020年には東口側にJR東日本ホテルメッツ五反田と商業施設「アトレ五反田2」も開業している。やはり同年には東急の駅ビルも「五反田東急スクエア」へ改装。両社連携しての商業施設整備が行われているのが、五反田の特徴でもある。

街道を挟む2つの「山」

桜田通りも五反田駅から北東側へ、勾配を上ってゆく。その左右は小高い丘陵になっており、左(北側)が池田山、右(南側)が島津山と呼ばれる。いずれも高級住宅街であり、イメージの良さからビルやマンションの名称によく取り入れられている。

この地名は、備前岡山藩池田家の下屋敷と、江戸時代の仙台藩伊達家の下屋敷を、明治時代に旧薩摩藩島津家が譲り受け島津公爵邸になったことに由来する。

池田家、伊達家とも外様ではあるが有力大名であり、中原街道の江戸への入り口を守るような形で屋敷を構えていたのだ。そして、かつては富士山が眺められる景勝地でもあり、戊辰戦争の敗者となった伊達家から勝者の島津家へと持ち主が変わった経緯も面白い。

島津公爵邸は戦後、進駐軍に接収されていたが、1962年に清泉女子大学が移転してきて、現在は同校のキャンパスである。本館は大正時代の洋風建築。2019年には国の重要文化財に指定されている。

現在はオフィス街の「五反田」

五反田駅の南西側は地名の起こりとなった目黒川沿いの平坦地で、現在はオフィス街となっている。山手線は大崎―五反田間でこの川を渡る。なお目黒川の下流は京急新馬場駅の下をくぐっており、東京モノレール天王洲アイル駅の南側で東京湾にそそぐ。

五反田の発展には「星製薬」が大いに貢献したとされる。五反田駅開業と同じ1911年に本社工場を開いた。むろん、新駅設置をにらんでの計画であろう。

戦後、創業者の星一が亡くなって経営難に陥り、会社は売却。1967年には工場は厚木市へ移転した。なお、星一の息子で、短い間ながらも2代目社長となったのが星新一。会社の再建はできず、後にSF作家として高名を残す。ちなみに母方の祖母の兄は森鴎外だ。文学者の血も色濃く受け継いでいたのだった。

大型コンベンションセンターが建て替え

星製薬の工場の跡地に建設されたのが、コンベンションセンターや商業施設の複合ビル「TOCビル(東京卸売センタービル)」だ。1970年のオープン当時は、日本最大の容積率を誇る建物として知られていた。五反田駅西口でよく見かける派手なシャトルバスは、こことの間を結んでいる。

このTOCビルの建て替えが、現在の五反田における大きな再開発計画の1つだ。2023年には解体が始まる予定であったが、2024年1月末現在、まだ工事には未着手である。ただ、ビル内の郵便局をはじめ、商店などは順次、閉店、移転を始めており、ほどなく巨大ビルは姿を消す。

新TOCビルは地上30階、地下3階、高さ約150mとなる計画。当初は2027年の完成が予定されていたが、これも遅れる見込みである。

土屋 武之:鉄道ジャーナリスト

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