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紫式部と藤原道長は「恋愛関係」にあったのか 歴史学者や作家たちの見解を通して分析する

東洋経済オンライン / 2024年2月17日 12時30分

式部の日記には、その夜、渡殿に寝ていた式部を訪ねる者があったと記されています。戸を叩く物音は聞こえますが、式部は戸を開けませんでした。式部は「おそろしさ」(恐ろしさ)に声も出さず、夜を明かしたのでした。

瀬戸内寂聴氏の見解

戸を叩いた人物は、道長だったとする見解もありますが、式部はその人物を見ていないのですから、何とも言えません。

角田氏は「道長が紫式部の曹司の戸を叩いたのは、浮気心から出たのではなく、立案された計画のもとに、彼女を妻妾とするための行動であったとされよう」と推測しています。

『源氏物語』の口語訳をした作家の円地文子氏も、式部のもとを訪れたのは、道長だとしています。

同じく作家の瀬戸内寂聴氏は、道長が「ほとほとと戸をたたいて夜這いに来た」と直接的な表現をしています。

さらに、寂聴氏は「ほとほとと戸をたたいて夜這いに来たら、断ったなんて日記に書いてあるけど、2回目か3回目には入れてますよね」などと文芸評論家・丸谷才一との対談で語っています。

さて、夜が明けると、式部のもとに歌が届きます。それは「夜もすがら水鶏よりけになくなくぞ真木の戸口に叩きわびつる」というもの。

「戸を叩く音と似た鳴き声で水鶏は鳴くけれど、私はそれ以上に泣きながら、あなたの戸口を一晩中叩きあぐねていたのですよ」との意味になります。

それに対し、式部は「ただならじとばかり叩く水鶏ゆゑあけてはいかにくやしからまし」と返します。

「この戸1つを、ただ事ではないというくらいの叩き方でしたけれど、本当はつかの間の出来心でしょう。そんな水鶏に戸を開けたら、どんなに後悔することになったでしょう」と返したのでした。

戸を叩いた人物が道長だったとしたら、権勢ある彼が、深夜に戸を必死に叩くものの入れてもらえない光景が目に浮かび、少し笑ってしまいますよね。

なお、寂聴氏は「2回目か3回目には入れてますよね」と言っていますが、道長が式部を2度・3度と訪問したという記述は『紫式部日記』にはありません。

消極的な女性だった紫式部

戸叩きの後日のことも、式部は日記に記しています。

例えば、道長が若宮を抱き、幼子に客人への挨拶を言わせている様子です。

宴が終わり、道長は酒に酔ってしまいました。式部は面倒事に巻き込まれるのが嫌で隠れていましたが、道長に見つかってしまいます。そればかりか「歌を詠め」と要求されるのです。しかし、式部は歌を詠むことはありませんでした。

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