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誰とわからない、故に逢わずにいられない女の妙 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・夕顔③

東洋経済オンライン / 2024年2月18日 16時0分

それを聞いて光君は、

「それはその車を見届けたかったものだな」と言い、雨夜の品定めを思い出す。あの時頭中将は、行方不明になった忘れがたい女がいると話していたが、西の家の女主人はその女ではないだろうか、などと思うのである。そうするとますます女のことを知りたくてたまらなくなる。そんな光君の様子を見て、惟光は続ける。

「その西の家の女房を、私自身もうまく口説いておりまして、家の様子もすっかりわかってきたんですが、女房のひとりと見せかけて、ほかの女房たちとまるで仲間うちみたいに親しく話している若い女がいるのです。うまく隠しおおせているつもりのようですが、ときどきちいさな童(わらわ)なんかが、うっかりご主人さまに話しかけるようにていねいな言葉遣いをしてしまうのですが、それをなんとか取り繕って、ご主人さまなんていないかのようにごまかしているんですなあ」と、惟光は笑った。

「また尼君のお見舞いにいく時にでも、私にものぞかせておくれよ」と光君は言う。

熱に浮かされたように女の元に

仮住まいだろうけれども、ああいう家こそが、雨夜の品定めの時に頭中将が軽んじていた下(しも)の家々なのだろう。けれどその中に意外にもすばらしい女が隠れているかもしれないと、光君は期待せずにはいられないのだった。

惟光は、光君の言いつけならばどんな些細(ささい)なことも背くまいと思ってはいるが、もともと、自分自身もしたたかな好き者なので、あれこれ熱心に立ちまわって、ようやく光君が通う段取りにこぎつけたのである。

このあたりのことは、くだくだしくなるのでいつもの通り省くことにします。

この女がどこのだれともわからないままなので、光君は自分も素性を明かさず、この女の元に通うようになった。ひどく粗末な身なりで、いつもとは違って熱に浮かされたように女の元に通い詰める。これはずいぶんなご執心だと思った惟光は、自分の馬を光君に譲り、

「こんなみすぼらしい姿で歩いているのを、あの家の者たちに見られてしまったら、なんともつらいものですな」とこぼしながら、徒歩でお供した。

このことをだれにも知られたくない光君は、以前、夕顔の取り次ぎをした随身と、先方に顔を知られていないはずの童をひとりだけ連れて、女の元に行くのだった。万が一にも感づかれてはいけないからと、隣の乳母(めのと)の家に立ち寄ることもしない。

女もさすがに不思議に思い、光君からの使いの跡をつけさせたり、夜明けに君が帰る時の道筋をさぐらせたり、住まいを突き止めようとするが、光君はいつもうまく彼らを撒(ま)いていた。そのくせ、逢わずにはいられないほど相手の女に惹(ひ)かれていた。こんな粗末ななりでお供もつけずに通うとは、貴人としてあるまじきことと苦しく思いながらも、気持ちとは裏腹に光君の足は女の元へ向かうのである。

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