1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

藤原道長を抜き去り「スピード出世」意外なある男 道長の父・藤原兼家と兼通の熾烈なバトルも

東洋経済オンライン / 2024年2月18日 11時40分

自分に風が吹いてきた――。人生が回り始めたかにみえた兼家は、そう感じていたに違いない。

だが、その矢先に伊尹が病によって倒れてしまう。代わりに兼家がさらに台頭するかと思いきや、存在感を高めたのは、意外にも次男の兼通のほうだった。

伊尹が天禄3(972)年10月に辞表を出すと、兼通はすぐさま権中納言・内覧となったばかりか、翌月の11月に伊尹が死去すると内大臣に昇格。関白にまで任命されている。

弟の兼家に追い抜かれたはずの兼通が逆転して、メインストリートに躍り出たのは、円融天皇と安子の意向だったようだ。兼家の運命は一転して、不遇の時代を過ごすことになる。

しかし、父や兄の人生を見てきた兼家は、案外に絶望していなかったのではないだろうか。禍福は糾える縄の如し。「流れはまた来る」と信じていたことだろう。

存命中はとことん、弟の兼家の出世を邪魔した兼通。一時期は自分を抜いて出世した、兼家のことがよほど気に食わなかったのだろう。

重い病にかかって、いよいよ死が近いと悟った兼通は、いきなり天皇に除目の執行を奏上。後継者の関白として、従兄の藤原頼忠を指名している。そればかりか、兼家から右大将・按察使の職を奪って、治部卿に格下げさせたという。

いくら弟に憎しみがあったとしても、そこまでやるものだろうか。陰湿さに呆れてしまうが、兄の兼通が死の間際に暴挙に出たのは、弟の兼家のふるまいに原因があったようだ。

『大鏡』によると、兼通が病に伏せていると、自分の屋敷に兼家が向かってくるのが見えたという。「弟が見舞いに来たのか」と喜んでいたが、兼家がやってくることはなく、天皇のいる内裏のほうへ。

激怒した兼通が病をおして内裏に行ったならば、天皇と兼家が関白の譲位について話し合いをしていたという。その後、前述したように、兼通は関白の後継者に、藤原頼忠を強行指名することとなる。

最後の最後まで兄の兼通に出世の邪魔をされた兼家だったが、背景を知れば、どっちもどっちという気もしてくる。出世争いというものは、何か人間として大切なものを失うらしい。

兼通に干されてからというもの、兼家は自宅に引きこもっていたが、兼通が死去すると、天元元(978)年6月から、再び出仕する。もう二度とレールから外れてなるものかと、兼家は出世への布石を打ち続ける。

次女の詮子を円融天皇に入内させたのち、右大臣に任ぜられた兼家。詮子が円融天皇との間に、男の子の懐仁を出産すると、円融天皇から譲位された花山天皇を巧みに退位させて、孫の懐仁が一条天皇として即位する。外祖父となった兼家はついに摂政となり、政権の座に就くことになった。

出世した藤原道隆が引き上げた人物は?

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください