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「災害医療チーム」を通して見えた能登地震の課題 DMAT派遣数は東日本大震災の3倍の1000隊超え

東洋経済オンライン / 2024年2月19日 11時30分

病院救急車と今回、DMAT隊として被災地で支援活動をした伊藤救命士(写真:筆者撮影)

能登半島地震の被災地には、全国から災害現場などで救命措置をする災害派遣医療チームDMAT(Disaster Medical Assistance Team)が相次いで入った。その数は延べ1000隊を超え、東日本大震災の約380隊を上回ったという。

【写真で見る】救急車から見た光景。車は道路の段差でパンクするケースもあったため、運転には細心の注意を払った

阪神大震災の教訓から誕生

DMATは阪神大震災の教訓から2005年に発足。医師1人、看護師2人、業務調整員(医療事務や救急救命士など)1~2人で編成され、原則3日間、被災地にいる救急患者の治療をサポートしたり、避難所にいる被災者の感染症に対する処置を行ったりしている。

2020年のコロナ禍、神奈川の横浜大黒ふ頭に停泊していたクルーズ船・ダイヤモンド・プリンセス号での活動で知ったという人も多いのではないだろうか。

今回、つくばセントラル病院(茨城県牛久市)のDMAT隊の、1月5日から9日までの軌跡を追った。

■1月5日(金)午後1時

厚生労働省事務局を通じて、石川県から同院にDMAT派遣要請の連絡が入る。この連絡を受け、同院では派遣要請に応じるかどうかの協議を開始。

金子剛病院長は「余震の恐れもあるので、被災地に職員を行かせるには不安があった」と、逡巡した当時を振り返る。しかし、救急救命士の伊藤翔平氏ら、同院のDMAT隊の「被災地を支援したい」との熱意に動かされ、派遣にGOサインを出す。

■1月6日(土)午前8時

同院救急診療科の山本祐二医師と、看護師の本名航氏と川村純江氏、救急救命士の伊藤氏が石川県に向けて出発する。途中で給油や昼食を取りながら、約8時間後の午後4時頃、能登医療圏DMAT活動拠点本部のある能登総合病院に到着した。

公立穴水総合病院が支援の拠点

能登半島は縦に長細く、くの字の形をしている。北部の震源地に珠洲市、輪島市があり、そこから下がって同半島中部に能登町、穴水町がある。七尾湾の下側には七尾市が位置し、くの字の一番下に金沢市がある。

■1月7日(日)午前7時

つくばセントラル病院のDMAT隊は、穴水町の公立穴水総合病院を支援するため、宿泊先を出発。到着したのは午前10時前だった。同院は断水していたものの、電気は通っていた。携帯電話は使用可能で、固定電話は不通。これが、その後の混乱にもつながった。

同病院の中橋毅副院長から、「病院の入院機能を維持するため、一部の入院患者を金沢市内の病院に転院させたい」との説明を受ける。

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