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開戦2年、写真家が見た「ウクライナ前線の街」の今 ロシアによるウクライナへの侵攻から2年

東洋経済オンライン / 2024年2月23日 18時10分

連日、医師とボランティア十数人で負傷兵の治療にあたった。ピークを迎えたのは12月24日。ユーリから届く動画には、ウクライナ兵のうめき声が記録されている。幾人もの兵士の腕や足首から血が滴る。ロシア軍が打ち込んできたロケットの破片が当たり、裂けた傷口のようだ。

その頃、ユーリは筆者にこんなメールを送ってきた。「戦線が非常に近いので、負傷して間もない兵士が運ばれてくる。戦況はとても厳しい。誰もが疲れている」。

ボランティアのユーリ・イワノビッチ(写真:筆者撮影)

次にユーリがアウディーイウカで活動したのは1月22日から1月29日。運ばれてくる負傷兵は少ない日でも20人、多い日だと30人に増えたという。ケガの状況も変化していた。マシンガンの砲弾が直撃し、スネからふくらはぎに向けて貫通した兵士がいる。腕の前側から後ろ側に向けて射抜かれた兵士もいる。アウディーイウカの市街で、ウクライナの部隊がロシア軍の歩兵と正面から対峙していたことが想像できる。

4カ月にわたる激戦の終盤、ロシア軍は長距離砲を使った戦法から、戦車と歩兵を組み合わせた接近戦に移行した。野戦病院で応急措置を受ける兵士の傷跡に、追い込まれたウクライナ軍の状況が見てとれる。

2月に入り、アウディーイウカの野戦病院は撤退を余儀なくされた。ロシア軍に北東南を包囲されながら、わずかに口があいていた西側が徐々に侵攻されてきたからだ。

その頃、アウディーイウカに派遣された兵士がいる。ハルキウ州の開放などに貢献した第3独立強襲旅団のブイコ(42)だ。

「これは工場で撮影したんだ」と言って見せてくれたのは、アウディーイウカの北西部にあるコークス工場から廃墟と化した街を撮った写真だ。最後まで街に残ったウクライナ兵、数千人のうちの多くが籠城していた工場だった。

激戦地バフムートの戦線からアウディーイウカにやってきたブイコは、戦況の違いについてこう話す。

「バフムートの前線は横一線で、敵と向きあう形で戦えた。しかしここは、左からも正面からも右からも敵が攻撃をしかけてくる。弾を避けられないんだ」

アウディーイウカで撮影されたブイコのセルフィー写真を見ると、鼻の左側にかすり傷があった。2月16日、ブイゴはロシア軍に包囲される寸前のところで撤退した。

その日、筆者とつきあいのあるウクライナ兵、アレクサンドル・バレリエビッチ(47)についての情報が知人から届いた。「アレクサンドルがアウディーイウカの"隠れ家を調べている"」とのメールだった。どうやら隠れ家とは、コークス工場のことのようだ。彼はそこを「調べて」、ウクライナ兵全員を無事に撤退させる任務についたのだ。

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