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花山天皇も驚いた「藤原道長」の豪胆すぎる性格 青年時代から兄たちよりも数段優れていた?

東洋経済オンライン / 2024年2月24日 11時50分

やがて、話題は昔の怪談話になっていきました。その時、花山天皇はふと次のようなお話をしました。

「今夜は、とても気味が悪い夜だ。このように、周りに人が多くいても、不気味な感じがする。そうであるのに、人気のない遠く離れたところは、どのような感じであろうか。そのようなところに、1人で行けるであろうか」と。

ほとんどの者は「とても、そのようなところに参ることはできないでしょう」と答えます。

「どこにでも行く」と答えた道長

しかし、その中で道長だけが「どこにでも参りましょう」と申し上げたのです。

道長の答えを面白く思われた花山天皇は「それは興味深い。ならば、行け。道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿の塗籠、道長は大極殿へ行け」と仰せになりました。

花山天皇の御命令を受けた道隆と道兼は、顔色も変わり、困ったことになったという雰囲気が漂います。

しかし、道長はそのような様子もなく「私の従者は連れて行きません。この近衛の陣の吉上でも、滝口の武士でも、1人を召して『昭慶門まで送れ』とご命令をお下しください。そこから内には1人で入りましょう」と言い放つのです。

花山天皇はそれに対し、1人で中に入ったのでは、本当に大極殿まで行ったか否か「証拠がないではないか」と仰せになります。

道長も「なるほど」と思い、花山天皇がお手箱に置いておられる小刀をもらい受けて、座を立ちました。

道隆と道兼も、渋々ながら、その場を離れます。花山天皇は「道隆は右衛門の陣から出よ。道長は承明門から出よ」と出る門までも、分けられました。

道隆は、右衛門の陣まで進むことができましたが、宴の松原の辺りで、得体の知れない声が聞こえてきたので、それ以上、進むことができなくなり、撤退します。

道兼は、ブルブル震えつつ、仁寿殿の東面まで来たのはよいものの、そこで軒と同じくらいの背丈の人がいるように見えたので(わが身が無事であればこそ、帝のご命令もお受けできるだろう)と思い、引き返してきました。2人の退却を、花山天皇は扇をたたいて、お笑いになりました。

ところが、道長だけが、かなり時間が経っても、戻ってきません。どうしたのだろうと皆が思う頃になって、やっと帰ってきたのです。しかも、何でもない様子でした。

花山天皇は「どうしたのだ」とお尋ねになります。すると、道長は落ち着いた様子で、ある物を差し出します。「これは何か」と花山天皇が重ねてお尋ねになると、道長は「何も持たないで帰って来たならば、証拠がないと思ったので、高御座の南側の柱の下の所を削ってきました」と。

道長の勇気が証明された

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