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「出世渇望する男性描く」清少納言の共感呼ぶ文才 「春はあけぼの」だけではない日常描いた文章

東洋経済オンライン / 2024年3月2日 9時30分

ここまでは学校で習った人も多いでしょう。清少納言は、その月々、1年のすべてに「趣がある」と書くのです。

春夏秋冬の趣を記した後は、清少納言自身が「面白い」と感じたことを書き連ねていきます。

例えば、元旦は空の様子もうららかで、改まった感じになっているのに、世間の人は皆、衣装や化粧を丁寧にして、主君や自身のことを「末長く」と祝っているのは、普段と様子が違い「面白い」と清少納言は述べます。

また、1月7日に若菜を摘んできて、普段は近くで見もしないのに、この日ばかりは、御殿の中で大騒ぎをして、手に持っているのは「大変、面白い」と述べています。

今を生きるわれわれも、1月7日になれば(普段はそんなこと思いもしないのに)「七草粥、食べようかな」と思い始めるのと一緒ですね。人間の「可笑しな」心理というものは、今も昔も変わらないのかもしれません。

清少納言はこのように季節の行事や風習の一コマも記していきます。

春に地方官を任命する儀式「春の除目」の頃の人々の様子も、清少納言は書きとどめています。

自分を売り込む男性の姿も描く

清少納言には、四位や五位のまだ年若い人たちは、意気揚々として、頼もしく見えました。一方、年を重ねて白髪になった男性は、女房に取り次ぎを頼んだり、女房がいる「局」に立ち寄り「私は、とても才能ある人物である」などと、独りよがりの態度で、話して聞かせています。

なぜ、この男性がそんなことをするかというと、女房たちに自分のことを売り込むことで、宮中で知らせてもらい、少しでもいい役職に就きたいと願っているからです。

現代でも、これと似たような話はありますよね。人間心理として、それもわからなくはありませんが、見苦しいと言えば、見苦しいでしょう。清少納言は、そういった人は、女房たちから、陰で馬鹿にされ、口まねをされて、笑われていたと書いています。

当然、本人はそんなことは知りません。必死になって「どうか、よしなに主上(天皇)に申し上げてください。中宮様にも」と頭を下げて頼み込むのですが、そうやって頼み込んだとしても、念願かなう人もいれば、かなわない人もいる。玉砕した人は「本当に気毒千万だ」と清少納言は同情しています。 

『枕草子』のなかの季節の描写は美しく、平安時代の風景が頭に思い浮かぶかのようですが、私が同書の中で興味深く思うのは、さまざまな出来事に対して、清少納言がどう思ったかという感想が書かれているところです。

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