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与力は賄賂で大儲け?江戸時代の「不正」驚く実態 都市行政に練達しているからこそ便宜を図られた

東洋経済オンライン / 2024年3月3日 19時0分

そのほか、大名が借財の返済を商人から迫られていた時には、双方の間を取り持って証文を書き替えさせることもみられた。返済期限の延期など、大名に有利な内容に改めさせたのだ。その際も謝礼を受け取ったのは、想像に難くない。

同心が得ていた「袖の下」の中身

大名が付け届けを送ったのは、何も与力だけではない。吟味方与力の配下であった同心も同様だ。しかも佐久間によれば、同心については袖の下を得る方法が、他にもあった。もっともそれは、以下の違法行為や問題行動を見逃す見返りとして、得られるものであった。

・犯罪者から袖の下を受け取って、その罪を見逃す

・遊廓で放蕩する者を取り調べることで、放免を願う親や主人から袖の下を受け取る

・外には知られたくない家庭内のトラブルに介入、解決のための周旋料を受け取る

・酒でトラブルを起こした武士から、内分に済ませるための謝礼を受け取る

言うまでもなく、どれも職権を乱用した行為である。袖の下を受け取ることで、生活の足にしていた同心もいたわけだ。似たような仕事をしていた与力にしても、大差はなかったかもしれない。もちろん、不正が露見すれば処罰されるのは必至である。

時候見舞いにかこつけて謝礼を受け取るなどして、与力・同心側も細心の注意を払っていた。依頼主の方も、与力に何事かを頼む場合は、相応の配慮をしていた。

謝礼を送るのにも一工夫を施す

八丁堀にあった与力の自宅を訪ねるのは人目もあるため、別の場所を設けて密かに面会している。恐らく料亭などが使われたのだろう。

その際、飲食などの接待が付随したのは言うまでもない。謝礼を贈るのにも、一工夫を施している。

現金ならば、「お菓子」などと箱書きした上で贈っていた。時代劇でよくみられるように、お菓子の下には山吹色が敷き詰められていたのだろう。

「切手」を贈る場合もみられた。これは料理茶屋が発行する料理切手のことで、現在で言えば食事券のようなものだった。

あるいは、1000両の価値がある土地の沽券(こけん)証文を500両に書き替え、その土地を購入してもらう方法もあった。差し引き500両の贈与に相当したことになる。

このように、与力に依頼した事柄が吟味の対象になったとしても、賄賂とは認定されないよう細心の注意を払っていたのである。

安藤 優一郎:歴史家

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