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「半導体のプロ」坂本幸雄氏はなぜ中国に賭けたか 「いずれ中国のIC微細化は限界迎える」と予見

東洋経済オンライン / 2024年3月5日 7時50分

中国とのパイプを築いたのは2008年以降だ。かつての「坂本番」記者で、現在は中華圏の企業動向の研究を専門とする筆者は、坂本氏と中国の関係には4つの段階があったと分析している。

1つ目はエルピーダが2008年8月に発表した江蘇省蘇州市でのDRAM工場の建設だ。市政府系の投資会社との合弁事業だったが、直後に起きたリーマン・ショックでDRAM市況が急速に悪化し、市政府側の翻意で白紙になった。

2つ目は安徽省合肥市のDRAMプロジェクトだ。坂本氏が設立したサイノキングテクノロジー社が開発・生産技術を担当し、市政府側が集めた資金で工場を建設する青写真を描いた。2016年には記者会見まで準備したが、旗振り役だった市長が習近平指導部による反腐敗運動で失脚し、立ち消えとなった。

3つ目は2019年11月、国有半導体メーカーの紫光集団の高級副総裁に就いたことだ。重慶市でのDRAM工場建設の責任者に指名され、JR川崎駅前のビルでは日本・台湾のDRAM技術者が100人規模で働けるオフィスも整備していた。紫光はその後、資金繰りが悪化し、2022年1月に法的整理に追い込まれたが、坂本氏も直前の2021年末に離職を余儀なくされていた。

4つ目はスウェイシュアだったが、志半ばで病に斃(たお)れてしまった。

李克強首相との会見にも同席

最も復権に近づいたのは紫光時代だろう。コロナ禍で日中間の往来が困難な時期だったが、紫光の趙偉国董事長(当時)に急に北京に呼ばれ、李克強首相(同)との会見に同席したことがあったという。中国は半導体経営のプロが少なく、坂本氏の手腕に期待したようだ。

しかし、その後は政治の風向きが変わったためか、紫光に公的な救済の手が伸びることはなく、趙氏は2022年7月に汚職の疑いで身柄を拘束されてしまった。

坂本氏の中国ビジネスは、共産党・政府との距離感という「チャイナリスク」への挑戦の連続だったと総括できるのではないか。リーマンやコロナという不運もあって、いずれも成功したとは言いがたい。筆者は坂本氏が紫光を離職した後、そうした見方を本人に直接ぶつけ、「山田さんは俺が中国でいつも失敗していると言いたいの」と怒られた記憶がある。

坂本氏を紫光にスカウトし、その剛腕ぶりから「中国の飢えた虎」の異名をとった趙氏についても多くを語ろうとしなかった。しかし、中国の半導体メーカー全般の技術水準など、個人や個社を特定しない問いには答えてもらえた。例えば、中国の半導体産業は現在、米制裁のため最先端のEUV(極紫外線)露光装置を輸入できず、IC(集積回路)の微細化が行き詰まると指摘されている。

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