1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

魂売った?ホロコーストの裏に「極限の駆け引き」 ユダヤ人リーダーが移送責任者と結んだ取引の成否

東洋経済オンライン / 2024年3月8日 19時0分

ナチスは、東方(ロシア)での強制労働につくために輸送するとユダヤ人に説明していた。この説明を多くのユダヤ人が死の直前まで信じていたのである。

契約以外の形で救出できたのか

さて、それでは、カストナーのとった「契約」以外のいかなる形で、ハンガリーユダヤ人を救出できたろうか。

カストナーのアイヒマンとの「契約」が小悪の選択であったかどうか、その正否を判断するためには、すべてがわかっている現在からの「後知恵」ではなく、当時のブダペストの不安と不確実さの状況下にあったユダヤ人の視点に戻って推移を追う必要があるだろう。

ユダヤ人救済擁護委員会は、すでに1944年以前から偽造パスポートなどを使って、ドイツ占領下の地域から、ユダヤ人がハンガリーへと逃亡する手助けをしていたらしい。当初ハンガリーはドイツの同盟国であったから、ナチス・ドイツも勝手にハンガリー国内のユダヤ人に手を出すわけにはいかなかった。

事態が変わるのは、ハンガリーがドイツから離れるのを察知して、ドイツがハンガリーを占領した1944年3月である。ここからハンガリーユダヤ人の絶滅が計画され、実行に移される。またこの頃、既にドイツの敗戦の色は濃くなっていた。こうした中、交渉も始まる。

アイヒマンはドイツの軍用トラックをユダヤ人に供出させようとして、100万のユダヤ人の命と引き替えに、東部のロシア戦線で使用する1万台のトラックを提供するように、カストナーの同僚のユダヤ人指導者、ヨエル・ブラントに持ちかける。

ブラントはこの提案をもって、トルコ、イスタンブールのユダヤ人社会へと赴く。アイヒマンはドイツの敗色濃い中、ユダヤ人を介してソヴィエトを除く西側連合国と講和のための準備をしようとしていたのかもしれない。

この提案を聞いて、カストナーは、それに先行して600名のユダヤ人の国外移住をナチスに願い出る。命とトラックの交換を真剣にナチスが考えているのか、確かめようとしたらしい。こうして1944年5月に最初の「契約」が行われる。

いっこうに帰ってこないブラント

しかし、ブラントはいっこうに帰ってこなかった。ブラントはイスタンブールからカイロにまで行き、現地のユダヤ人社会と接触するばかりではなく、連合国側にも面会し、必死にトラックの供出を懇願していた。だがユダヤ人の大量虐殺も、またその代用としてのトラックの件も信じてもらえなかったのである。

こうして事態が動かず、むなしく月日が過ぎていく中、ユダヤ人の絶滅収容所への輸送が次々に行われていく。カストナーは、その間アイヒマンと何度も接触し、中立国へ移送するユダヤ人の数を600人からさらに増やそうと試みる。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください