1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

エルピーダ坂本氏の遺言「日本はKOくらってない」 「日の丸半導体」を背負った野武士の規格外経営

東洋経済オンライン / 2024年3月8日 7時40分

日の丸半導体の復活を期す、ラピダスの東哲郎会長(東京エレクトロン元社長)は、坂本氏を「世界的な視点で動く破格の経営者。政府や銀行への依存度が低く、強靭な精神で長期的な目線で戦略を組み立てていた」と振り返る。

坂本氏は李克強に会っていた

近年、中国との関係を深めていたことも坂本氏への毀誉褒貶につながっている。

2019年、坂本氏は中国の李克強前首相(2023年に死去)に会っている。同年11月には中国・清華大学系の半導体企業、紫光集団の高級副総裁に就任し、日本代表となった。当時の坂本氏は72歳だったが「69歳で剣道を始め、毎朝300本から400本くらい素振りをしている。体力があって頭もしっかりしている。何らかの成果を出して自分の人生を終えたい」と語っていた。

紫光集団での坂本氏のミッションは、DRAM事業の立ち上げ。量産工場立ち上げに向けて奔走していたが、2021年に紫光集団が破綻して立ち消えとなった。

東京理科大の若林教授は「坂本さんはエルピーダ後、中国で日本人の半導体エンジニアが活躍できるよう尽力していた。紫光集団では、自分が描くDRAMビジネスも検証したかったのではないか」と振り返る。

ラピダスの東会長は、坂本氏の訃報を若林教授から聞いて冒頭の色紙の存在を知ったという。「衝撃的だった。彼はグローバル展開したり中国に行ったりしたけど、日本に対する思いは強烈にあったのだなと」と思いをはせる。

最近まで坂本氏は動き続けていた。2020年以降、日本政府は半導体の産業政策へ急速に舵を切っていった。コロナ禍での半導体のサプライチェーンの混乱や米中貿易摩擦を受けて、半導体を取り巻く環境は激変していた。坂本氏の手元には、海外で働く日本人の半導体シニアエンジニアのリストがあった。彼らの就職先を紹介したり、自身の経験を基に、アドバイスをしていたという。

坂本氏は、「日本が唯一持っている資産は人間。リストラすると、残った人のモラルも落ちてしまう。日本はエンジニアの数が相当減っているからちゃんとしないと」と語っていた。その対象はエルピーダだけでなく、ルネサスエレクトロニクスやキオクシアなど、すべての半導体エンジニアに向けられていた。坂本氏は、どの会社で、どの立場でも、エンジニアを大切にするという信念を貫き続けた。

プレステの父が語る坂本氏

生前の坂本氏が、しばしば言及したのがソニー元副社長の久夛良木健氏だった。家庭用ゲーム機「プレイステーション」生みの親であり、マイクロプロセッサ「Cell(セル)」を開発した人物でもある。最後に久夛良木氏が寄せた弔文を掲載したい。

時代に遥かに先駆け、日本発の半導体ファウンドリーの実現に向け幾度となく挑戦を続けた坂本幸雄氏が旅立った。生粋の野武士でもあり、自らが先頭に立って闘い続ける姿は、往年の日本半導体の黄金時代の中にあって我が世の春を謳歌していた国内大手半導体経営陣からは異端の士と見られていたのだろう。

しかし、その後の国際的な半導体ファウンドリーの急進と日の丸半導体の凋落により、氏が見ていた未来の景色が奇しくも現実のものとなりつつある。私との最初の出会いは「プレイステーション2」の開発時に遡るが、半導体産業に向ける熱き想いは、それぞれが得意とするアプローチからではあったが見ている未来は重なり、その後折に触れて親交を重ねさせて頂いた。

当時の2人の対談が Wedge 2017年10月号に収録されている。類稀な挑戦者のご功績とご冥福を心からお祈りしたい。

前田 佳子:東洋経済 記者

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください