「花山天皇を出家させる」藤原道兼の痛烈な裏切り 懐仁親王の即位を早めるために兼家親子で画策
東洋経済オンライン / 2024年3月9日 7時40分
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は花山天皇の出家の背景にある、藤原兼家親子の画策を紹介します。
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『大鏡』(平安時代後期に成立した歴史物語)は、藤原道長のことを豪胆な人物として描いています(過去記事:花山天皇も驚いた「藤原道長」の豪胆すぎる性格)。
【写真】藤原道兼を演じる玉置玲央さん。道兼は花山天皇を出家へと追い込む。
『栄花物語』(平安時代後期の歴史物語)もまた、若き頃(20歳頃)の道長を「容姿や気性が男らしく、自らに心を寄せる者に目をかけて庇護し」と絶賛しています。
作者の道長に対する賛美の姿勢が強く、はたして、これが道長の真の姿だったかと言われたら、疑問が残るところですが、功成り名遂げた後に、賛美の言葉が出てくるというのは、今も昔も同じと言えましょう。
道長のライバルが先に出世
しかし、道長であれども、最初から他人を圧倒するほどの出世の仕方をしたわけではありません。
道長は、980年正月に従五位下に任じられます。「影を踏まないで、顔を踏みつけてやる」(『大鏡』)と道長が息巻いたライバルの藤原公任は、同年2月には正五位下に叙されて、昇殿(清涼殿の殿上の間に昇ること)まで許されていたため、道長よりも早く出世しました。
この出世は、公任の父・藤原頼忠が関白・太政大臣だったことが大きいでしょう(道長の父・藤原兼家は右大臣でした)。
兼家は娘(次女)の詮子を円融天皇の女御とし、詮子は980年に懐仁親王を生むことになります。984年、円融天皇は花山天皇に譲位したことから、懐仁親王は皇太子に立てられました。
ところが、その2年後(986年)の6月には、花山天皇が早くも退位・出家してしまうのでした。
その裏には、兼家とその三男・藤原道兼の画策があったと伝えられますが、寵愛していた女御・藤原忯子の急死を受けて、花山天皇自身も出家を考えられていたようです。
『大鏡』は、ご退位の夜のことを次のように記します。
花山天皇は藤壺(平安宮の内裏五舎の1つ)の上の御局の小戸からお出ましになりました。夜が明けかけてもいまだ空に残っている「有明の月」の光が容赦なく、天皇を照らし出しました。
道兼がなんとか出家させようと急かす
花山天皇は「月の光で姿が目立ってしまっている。どうしたらよいか」と仰せになったようですが、藤原道兼は次のように急き立てます。
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