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鳥山明さんの死を台湾人が惜しむ現代史的背景 1980年代からの民主化の過程に「七龍珠」が輝いた

東洋経済オンライン / 2024年3月10日 11時20分

その中で『ドラゴンボール』は大陸中国的な教育が強化された戦後の台湾で、しかも「悟空」と言っても古典の西遊記の孫悟空しかイメージできなかった1980、1990年代の台湾人の子どもが思い付きさえもしない世界観と、洗練、かつ特徴的な日本漫画らしいデザインで台湾の人たちを魅了した。

21世紀に入ると欧米でもドラゴンボールブームのような現象が起きるが、台湾では一足先に、ブームよりも一歩踏み込んだ人生観に影響を与えるようなインパクトが発生したのだった。

現在の台湾の中高年らはこのような環境下で育ったのである。

日本統治時代を経験したことがない当時の台湾の当時の子どもたちは、かつて「日本人」だったことがある祖父母と、世代の垣根を取り払い、一緒に日本文化に慣れ親しむことができた。

世代の垣根を取り払った日本の漫画

そしてそれが、日本への親しみと憧れともいえる「親日さ」を生み出す状況を作りだした。また、当局による締め付けがまだ厳しい時代だったからこそ、日本のコンテンツがより浸透したと言えるかもしれない。

ちなみに、鳥山さんはファミコンの大人気ソフト「ドラゴンクエスト」のキャラクターデザインも担当したのは有名だ。

ファミコンは台湾でも爆発的に流行した。ソフトは主に言語を必要としないアドベンチャーゲームやシューティングゲームが人気だったが、日本語力が必要なロールプレイングゲームの「ドラゴンクエスト」でも遊んだという台湾人は、現在でも少なくない。

彼らは日本語を理解できないが、周囲の日本語のわかる人に聞いたり、コマンドを暗記したり、何とかして理解しようと努めてゲームを楽しんだ。

この体験をきっかけに、後年、本格的に日本語の世界に飛び込んだと言う猛者もおり、ファミコンや「ドラゴンクエスト」が果たした役割は想像以上だと言えるだろう。

訃報が伝えられてからまだ数日も経過していないが、SNS上には依然として多くの台湾人が鳥山さんと作品を懐かしむ投稿が続いている。

日本人と同じように台湾人も、同じ時代に鳥山さんの作品を楽しみ、影響を受け、今日に続く友好関係を作り上げたのだった。

鳥山明さんと台湾人の絆の強さを、改めて思わずにはいられない。

高橋 正成:ジャーナリスト

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