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かつてタブー視「肉食」が日本で普及した納得理由 675年には肉食禁止令、たどると深い歴史的経緯

東洋経済オンライン / 2024年3月16日 19時0分

江戸時代初期から鳥類は食の対象とされていたし、時代が下ると獣肉食も珍しくはなかった。これからみていくのはそうした、食に対する人々の本音である。

その数なんと18種類!バリエーション豊かな鳥肉

そもそも江戸時代において、鳥を食べるのは当たり前のことだった。江戸初期にあたる寛永20年(1643)に刊行された『料理物語』という本には、鴨・雉・鷺(さぎ)・鶉(うずら)・雲雀(ひばり)など、18種もの野鳥が取り上げられている。

現代では口にしない、様々な鳥が食用だったことがわかる。しかも調理法も多様だ。鴨の場合でみると、汁・刺身・なますなど15種類以上の料理法が紹介されている。

現在、鳥類のなかで最も食べられている鶏はどうかというと、卵を産む家畜として飼育されたこともあり、江戸初期の頃はあまり食べられなかった。鶏の鳴き声には太陽を呼び戻す力があると神聖視されたことも、大きかったようだ。

しかし、食用だった野鳥が乱獲されて鳥肉が不足すると、家畜用だった鶏も食用となっていく。『守貞謾稿』(もりさだまんこう)によれば、文化年間(1804~18)以降、鶏肉は京都や大坂では「かしわ」と呼ばれ、葱鍋として食べられた。

江戸では「しゃも」という呼び名で食べられた。価格の安さもあり、庶民の間で鶏肉の人気は高かった。鶏の卵は高級品だったが、肉用に加えて採卵用の養鶏も盛んとなったことで、価格が低下していく。それに伴い、卵料理の数も一気に増える。

天明5年(1785)に刊行された『万宝料理秘密箱』(まんぼうりょうりひみつばこ)には、103種類もの卵料理が掲載された。同年刊行の『万宝料理献立集』でも掲載された料理の献立すべてに卵が挙げられており、卵料理の普及ぶりが窺える内容となっていた。

庶民だけでなく、大名からも愛された鳥料理

ちなみに、鳥を食べたのは庶民ばかりではない。大名は、将軍から拝領した鶴の肉を食べることがあった。鷹を野山に放って鳥類を捕える鷹狩りは、将軍にとっては堅苦しい城内の生活から解放される貴重な機会。定期的に催され、捕獲した鶴は大名に下賜された。

長寿の象徴として珍重された鶴の料理は、最高級のおもてなしだった。鶴を拝領した各大名家では、宴席の場を設け、家中で共食(きょうしょく)することが義務付けられた。切り身で下賜された鶴はお吸い物の形で共食された。

共食とは、神への供え物を皆で飲食することである。神と人、および人と人の結び付きを強めようという儀礼的な食事だ。神事の終了後、お神酒(みき)や神饌(しんせん)を下ろして飲食する酒宴は直会(なおらい)と呼ばれるが、拝領鶴のお吸い物の共食はまさに直会のようなものであった。

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