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「もう一度声を聞かせて」、光君の憔悴と女の最期 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・夕顔⑦

東洋経済オンライン / 2024年3月17日 16時0分

「そうさ、何ごとも因縁だと思おうとしているのだけれど、自分の無責任な恋心のせいで、人をひとり虚(むな)しく死なせたと非難されるに違いないんだ。それがつらくてやりきれない。少将命婦(しょうしょうのみょうぶ)にも内緒にしておくれ。尼君にはなおのことだ。忍び歩きをやかましく咎(とが)められるだろうから、私は合わせる顔もなくなってしまう」と光君は口止めをする。

「そのほかの僧侶たちにも、すべて違う話に言い繕ってあります」

と言う惟光を、光君は頼りにするしかない。

邸の女房たちは、この会話を漏れ聞いていったい何ごとなのだろうと不思議に思う。穢れに触れたとおっしゃって宮中にもいらっしゃらないのに、何をひそひそとお話しになっては悲しんでいらっしゃるのだろう……といぶかしむのだった。

「これからのこともうまくやっておくれ」と、光君は葬儀の段取りを指示する。

「いえ、何、大げさにすべきことでもございません」と惟光は立ち去ろうとするが、光君はまたしても悲しみに襲われて呼び止める。

「こんなことはすべきじゃないとわかっているけれど、もう一度あの人の亡骸を見ないことにはとても気持ちがおさまらないから、私もいっしょに馬でいくよ」

まったくとんでもないことだと思いながらも、

「そうお思いになるのなら仕方がございません。早くお出かけになって、夜の更けないうちにお帰りになられますように」と惟光は承知した。

最期の亡骸を見ないことには

最近の忍び歩きのためにこしらえた狩衣(かりぎぬ)に着替え、光君は邸を出た。まだ気分も悪く、気持ちも沈んでいるせいで、こんな非常識な軽はずみで出てきて、また昨夜の物の怪に襲われるのではないか、引き返したほうがいいのではないかと光君は迷う。けれども悲しみはやはり紛らわしようがなく、最期の亡骸を見ないことには、ふたたびいつの世で女の顔を見ることができようかと、気持ちを奮い立たせ、随身を伴って惟光と出かけたのである。

道は果てしなく遠く思えた。十七日の月が上り、賀茂河原のあたりにさしかかると、先払いの者が持つ松明(たいまつ)の明かりもほのかで、火葬場のある鳥辺野(とりべの)がぼんやり見えるのはいかにも薄気味悪いが、光君はもうこわいと思うこともない。気分のすぐれないまま、山寺に着いた。

あたり一面、ただでさえおどろおどろしいのに、板葺(いたぶ)きの家の傍らにお堂を建てて修行している尼の住まいは、ぞっとするほどさみしい光景である。お堂の灯明が戸の隙間から漏れている。板葺きの家からはひとりの女の泣く声がして、外では僧侶が二、三人、言葉を交わしながら話の合間に無言の念仏を唱えている。近隣の寺の勤めも終わり、静まり返っている。清水寺のほうは灯火もたくさん見えて、大勢の人が行き交っている様子だった。この尼の息子である高徳の僧が、尊い声で読経(どきょう)をはじめ、光君は涙を体中から絞り尽くすような気持ちでそれを聞く。

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