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東大日本史「憲法を捉え直す」一大トレンドの背景 ステレオタイプな思考を打破する試みがある

東洋経済オンライン / 2024年3月17日 19時0分

さて、大日本帝国憲法の一般的なイメージというと、「天皇が元首として主権を握り、国民(臣民)は権利・自由が制限された」といったところでしょうか? 

しかし、そのようなステレオタイプな思考にとらわれていては、民権派の植木枝盛が大日本帝国憲法の発布を祝った理由は見えてきません。植木と言えば、人権の無制限での保障や、政府に対する抵抗権などを盛り込んだ急進的な私擬憲法である、「東洋大日本国国憲按」の起草者として知られます。その植木が大日本帝国憲法を評価したというのは、そこに立憲主義の精神が通っていたからです。

大日本帝国憲法に埋め込まれたデモクラシー

立憲主義とは、統治権の行使は憲法によって制限されるという、近代国家の原理のことです。

なぜ統治権の行使が制限される必要があるのか? それは、個人の権利・自由を保障するためにほかなりません。権力者が統治権を振り回せば、個人の権利・自由は侵害されてしまいます。そこで、それを抑止するために近代憲法に盛り込まれているのが、統治権を立法・行政・司法の諸機関に分けるという権力分立(三権分立)です。

大日本帝国憲法が立憲主義に基づいていたというのは、次の条文から見て取れます。

「第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」

天皇は憲法の条規に則って統治権を行うものとすると、立憲主義が明確に述べられていますね。実は、「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」という文言は、憲法草案の審議において伊藤博文の強い意向により採用されたものであることが知られています。伊藤は、立憲主義の精神を正しく理解していたのです。

次に、民権派が開設を求めてきた議会は、どのように規定されたのかを見てみましょう。ここでも、衆議院の立法権の行使は、華族や勅選議員などからなる貴族院によって制約されたというステレオタイプに縛られていると、植木の評価を見誤ることになります。

第37条・第64条では、法律および予算は帝国議会の協賛を要するとされ、第62条には「現行ノ租税ハ更ニ法律ヲ以テ改メサル限(かぎり)ハ舊(きゅう)ニ依リ之ヲ徴収ス」と租税法律主義も明記されました。伊藤博文を中心に憲法を逐条的に解説した『憲法義解』にも、「議会の議を経ざる者は之を法律とすることを得ざるなり」とあります、議会には法律・予算に関する権限が与えられたのです。

とりわけ議会にとって強力な武器となったのが、予算に関する次の第71条です。

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