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東大日本史「憲法を捉え直す」一大トレンドの背景 ステレオタイプな思考を打破する試みがある

東洋経済オンライン / 2024年3月17日 19時0分

「第七十一条 帝国議会ニ於テ予算ヲ議定セス又ハ予算成立ニ至ラサルトキハ政府ハ前年度ノ予算ヲ施行スヘシ」

予算不成立時は前年度の予算を執行するものとするこの規定により、政府は議会の同意なしに新しい予算費目を立てられなくなりました。実際に、1890年の開設後の初期議会では、予算をめぐって政府と議会の激しい攻防が繰り広げられています。

日本国憲法を適切に運用できているか問いかけている

問題にもあるとおり、大日本帝国憲法は君主である天皇の意志によって制定された欽定憲法という形式をとりました。

そして、その制定の主導権は、1881年に国会開設の勅諭を発して民権派の急進的な動きを封じ込めて以来、伊藤博文を中心とする薩長藩閥政府が完全に握っていました。伊藤は渡欧してプロシア流(ドイツ流)の君主権の強い憲法を学び、帰国後、草案の準備にかかりますが、その内容は1889年2月11日(紀元節)に発布されるまで、国民に全く知らされませんでした。

ですが、植木枝盛は、フランス革命のようなことのない平和な状況で制定されたこと、各国の憲法を比較しながら講究できたことなどを理由に、大日本帝国憲法へ全幅の信頼を寄せています。

そして、発布後には郷里の高知で発行していた『土陽新聞』に「善く代議政体の本旨を得たる」と記しました。

その理由は、いま見たとおりです。大日本帝国憲法には立憲主義の原理が貫かれており、議会を通じて自らの意見を政治に反映できると考えたからこそ、植木枝盛をはじめとする民権派は、憲法制定においてカヤの外に置かれていたものの、これを良しとして祝ったのです。

議会の規定から見てとれるように、大日本帝国憲法にはデモクラシーが埋め込まれていたと言えます。実際、大正末期~昭和初期には「憲政の常道」と呼ばれる政党内閣の慣行が成立しました。ですが、それが8年足らずで幕を閉じたということは、憲法を運用することの難しさも物語っています。

その歴史は、私たちに日本国憲法を適切に運用できているかと問いかけているに違いありません。

日本国憲法は本当に民主的な憲法なのか?

2005年の東大日本史では、大日本帝国憲法と日本国憲法の共通点と相違点を問う問題が出ました。

〈設問〉
大日本帝国憲法と日本国憲法の間には共通点と相違点とがある。たとえば、いずれも国民の人権を保障したが、大日本帝国憲法では法律の定める範囲内という制限を設けたのに対し、日本国憲法にはそのような限定はない。では、三権分立に関しては、どのような共通点と相違点とを指摘できるだろうか。6行以内で説明しなさい。
(2005年度・第4問)

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