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令和の今も作成依頼「デスマスク」への遺族の想い 夏目漱石の死に顔やコロナで逝った少年の手形も

東洋経済オンライン / 2024年3月21日 11時0分

もし仮に100年前にタイムスリップして荼毘に付す前の漱石の遺体を目の当たりにしても、周囲の目もあるからここまでじっくりとは眺められなかっただろう。気兼ねなく、ありのままの容姿を観察できる。デスマスクだからこそできた経験だ。

死を記憶して後世に伝える。その情報量と正確さにおいて、デスマスクは写真や絵画、墓石をも凌ぐ。かなり高解像な「死のオープンソース」といえそうだ。

ルーツは古代ローマに遡る

その歴史は古く、紀元前の古代ローマ時代まで遡る。古代ローマでは、高級官僚などの高貴な家柄の玄関広間には「イマギネス」という蝋で作った先代のデスマスクが飾られていたという。イマギネスは葬列にも持ち出されるなどして、祖先の崇拝と家柄を誇示する役割を担っていたようだ。

やがてイマギネスは市民にも広まり、その技術は後世に引き継がれた。中世から近世にかけての欧州やその文化圏では王や名士のデスマスクがとられるようになる。現在に伝わるものだけで、アイザック・ニュートン(1642-1727)やベートーベン(1770-1827)、エイブラハム・リンカーン(1809-1865)、レフ・トルストイ(1828-1910)など、枚挙にいとまがない。

日本には文明開化の時代に伝わった。明治から昭和前半にかけては、夏目漱石以外にも、森鴎外(1862-1922)や小林多喜二(1903-1933)、松沢病院で暮らしながらメディアを賑わした葦原将軍(葦原金次郎、1852-1937)など多くのデスマスクが残されており、その多くは関連する資料館で今も目にすることができる。

ところが、戦後になるとデスマスクを残す風習は次第に退潮に向かっていく。

背景には、故人の面影を残すツールとして、低コストで管理も容易な遺影がすでに普及していた事情があっただろう。また、デスマスク特有の生々しさが時代に合わなくなっていった側面も否めない。実際のところ、最近は多大な業績を残した人が亡くなっても、デスマスクを取るという発想にはなかなか至らないだろう。

漱石山房記念館でも、漱石のデスマスクを目の当たりにしてその生々しさに衝撃を受ける来館者は多い。同館スタッフの亀山綾乃さんは「小中学生の来館も多いのですが、亡くなったときに型を取ったんだよと話すとすごくびっくりされます」と話していた。

コロナ禍の犠牲になった少年

しかし、需要が完全に途絶えたわけではない。千葉市にある国内唯一のデスマスク制作専門会社・工房スカラベには、今も遺族からの依頼が定期的に届いている。2016年の開業以来、代表である権藤俊男さんは関東圏を中心にこれまで50人を超える故人の顔や利き腕から型を取ってきた。

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