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松本城主・松平直政が「月」を見せたかった"相手" 城好き気象キャスターが「風光明媚な城」を厳選

東洋経済オンライン / 2024年3月22日 13時0分

当時の城主・松平直政は、三代将軍・徳川家光のいとこでした。1634(寛永11)年に家光が松本城に来ることになったので、月見の宴でおもてなしをするために、前年の1633(寛永10)年から櫓を増築したそうです。

昼間の月見櫓の中は明るく、とても開放感があります。三方はすべて大きな戸で、外からの日差しがたっぷり差しこんでいるのです。戸を外すと、さらに視界が広がり、屋内からお月見ができるように考えられています。

月見櫓から見上げる月は、きっと格別に美しいでしょう。山の稜線の上に月が輝く様子を肴(さかな)に地酒を飲んだら最高だろうなと、妄想が膨らみます。

昼間の月見櫓からは、美しい山々を眺めることができます。松本市は周りを3000メートル級の高い山に囲まれた盆地です。内陸性気候で1年を通して湿度が低く、空気が澄んでいるので遠くまでよく見えます。深呼吸をしたくなる気持ち良さです。

外側に赤い高欄(こうらん:手すり)があるのも優美に感じられます。外から見たときに、全体的に黒い天守群のアクセントとして高欄の赤が映えています。

さて、江戸時代の話に戻りますが、実は結局、家光は来ることができませんでした。ただ、月見櫓が増築されたことで松本城の魅力が多様になったと私は思います。

1つの城に「戦」と「平和」が共存

松本城は、「戦」と「平和」という、2つの顔をもつお城です。

戦国時代に建てられた大天守、渡櫓、乾小天守、江戸時代に増築された辰巳附櫓(たつみつけやぐら)と月見櫓の5つの建物がつながって、天守群を構成しています。

「戦」の時代(戦国時代)の建物には、弓矢や火縄銃で敵を攻撃するための穴・狭間(さま)が115カ所もあります。また石垣を登ってくる敵に、石を落としたり火縄銃を撃ったりしてお城を守るための石落としも見られます。窓は、太い格子がついた武者窓(竪格子窓・たてごうしまど)で、敵の攻撃を防ぎつつ火縄銃を撃つことが可能です。

さらに、天守の目の前にあるお堀の幅は約60メートル、これは火縄銃を精度よく撃てるギリギリの距離です。このように、戦うための設備が各所に整っています。

一方、「平和」な江戸時代に建てられた辰巳附櫓や月見櫓には、攻撃や防御の仕掛けは見当たりません。心穏やかにくつろげる空間です。順路通りに歩いていくと、一気に雰囲気が変わるので驚きます。

対照的な建物がつながっていて、戦国と江戸の価値観の違いを体感することができるのが、松本城の個性です。このギャップを楽しんでください。

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