1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

「伝説の農家」の極上野菜、3つ星シェフ食べた感想 79歳「浅野悦男」の野菜は、一体"何が違う"のか

東洋経済オンライン / 2024年3月23日 14時0分

自身の料理に必要なものを真摯に求める料理人たちによって、いつの時代も浅野は見出され続ける。

最初に光を当てたのは、1980年代に「バスタ・パスタ」の総料理長を務め、1990年代にかけて一大イタリアンブームを牽引した山田宏巳シェフだ。のちに名店と評されることになる「リストランテ・ヒロ」を開店した直後に、浅野と巡り合った。

「ニンジンが苦手だ」と言うシェフを、浅野はあえて畑に案内した。率直な意見が聞きたい。ただそれだけだった。

その場で一口かじって、シェフは目を輝かせた。

「おれ、このニンジン食べれる!」

そこから取引は一気に広がり、多くのシェフが浅野の野菜を求めた。30年近く経ったいまも、若手シェフから新規のオファーがしばしば届く。

ニンジンにありがちな青臭さがほとんどなく、芯まで赤くて甘みが強いと評判の浅野のニンジン。意外なことに、肥料はほぼゼロで育つのだという。

「植物に栄養なんていらないの。余計なことはしないほうがいい」

これが浅野の口癖だ。最初に聞いたときは、ピンとこなかった。栄養が不要なら、土づくりなのか? そう尋ねると、とぼけたような答えが返ってきた。

「土づくり? そんなの、できるわけないじゃん」

畑と食卓が、直接つながった

首をひねりつつ、ニンジン畑に立つと、優しい土の感触とともに、靴先がゆっくりと吸い込まれるように沈んでいく。

その瞬間、脳裏に浮かんだのは、心地よい土の中をしなやかな根が深くまっすぐに下りていくイメージだ。

その心地よさというのは、浅野が植物に対し、「こう育ってほしい」と願って作ったものではなく、「こう育ちたい」という植物の声を聞いて浅野が手助けをした結果であるように感じる。

植物がその生命を維持するためのミネラルと、ひとつでもいいから生まれ育った原産地に近い条件をどう与えてやるか。肥料の量よりも先に、それを考えることのほうが大切なのだと浅野は話す。

浅野は1961年、地元の農業高校を17歳で中退して就農した。麦と落花生、サトイモを市場出荷しながら外国産野菜の栽培に挑戦。30年ほど前から、少量多品目生産の直売農家となった。

それまで、フレンチやイタリアンの店では輸入業者が提供する野菜を使うのが一般的だったが、山田宏巳氏の他、「銀座レカン」の最盛期を担った十時亨氏、「アクアパッツァ」オーナーの日高良実氏といったスターシェフが浅野と取引を開始。畑から農場へ、直接つながる道が拓いた。

旧知のシェフたちは、こう口をそろえる。

「食材をより広く深く知る機会を得て、料理の幅が広がっていく。浅野さんは、その基盤を作ってくれました」

「Farm to Table」という言葉は、生産者と消費者、食の提供者が物理的に、また概念として近い距離にあることだけでなく、その関係性のあり方までをも包含する概念だ。

浅野の農園の納屋には、来日した海外の名シェフたちが訪れた際の写真が何枚も飾られている。

浅野は日本の農家として、誰より先にFarm to Tableを実践してみせた先駆者だからだ。

成見 智子:ジャーナリスト

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください