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『いいとも!』終了から10年、今も語られる凄み 公開収録の「新宿アルタ」は2025年営業終了へ

東洋経済オンライン / 2024年3月25日 12時30分

『テレビファソラシド』出演によりNHKへの貢献が評価された面ももちろんあっただろう。だがそれだけではない。そもそも『テレビファソラシド』でのタモリは司会ではなかった。司会という意味では、やはり『いいとも!』の人気が大きかった。

その象徴的場面は、いきなりオープニングでやって来た。番組の冒頭、タモリは、これからいよいよ歌合戦というとき、「そろそろ始めてもいいかなー?」と客席に呼びかけたのである。観客席からも「いいともー!」の声が。

当時まだ驚異的な高視聴率(この年の視聴率は74.2%)を誇っていた国民的番組『紅白』でのこの〝歴史的出来事〟は、「いいともー!」がすっかり世の中に浸透したことを物語っていた。

そうして『いいとも!』が軌道に乗るなか、番組の代名詞になったのが「テレフォンショッキング」である。

「テレフォンショッキング」は、芸能人や著名人の日替わりゲストがタモリとフリートークを繰り広げるコーナー。

その日のゲストがその場で電話をかけ、リレー方式で次の日のゲストを紹介する(居場所がわからないときは、ディレクターやアナウンサーなどが代わりに調べ、電話をすることもあった)。

唯一、初回から最終回まで続いた長寿コーナーであり、看板コーナーである。したがって、『いいとも!』の放送回数と同じ8054組がゲストとして登場した。

テレホンショッキングあれこれ

その日のゲストによって幅はあるが、おおよそ20分程度の長さである。ちなみに最多出演者は和田アキ子で22回。次いで浅野ゆう子と藤井フミヤが21回である。

初回のゲストは、タモリが大のファンであることを公言していた歌手の桜田淳子だった。このときは、最初は次のゲストとして歌手の牧村三枝子に桜田が電話をかけたがスケジュールの関係でNGに。

そこで振付師の土居甫にかけようということになった。だが仕事先にいた(このときはまだ携帯電話は普及していない)ため、桜田淳子の代わりに番組ディレクターの小林豊、通称「ブッチャー小林」が電話をした。

そもそもはアイドルの伊藤つかさにタモリが会いたいという目的で始まったという。それは、1985年7月8日に実現した。

以降は、タモリが10代の頃から憧れ続けていた吉永小百合につながることが目的になった(結局、それは達成されなかったが、番組最後の「グランドフィナーレ」で吉永は中継で登場し、タモリを労った)。

この「テレフォンショッキング」には、恒例行事のようなものもあった。

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