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三菱「GTO」謎多きスーパースポーツ誕生の必然 もう生まれないバブルに咲いた真っ赤な大輪

東洋経済オンライン / 2024年3月30日 12時30分

タイミング的なものを考えると、コルトギャランGTOの名称は、ポンティアックGTOへのオマージュだったのだろう。

ちなみにコルトギャランは、ラリー車としても大活躍している。ただし、実際に参戦したのは軽量なセダンであり、ファストバックのGTOは競技車としてほとんど使われていない。

よく走り、丈夫で格好いいことから人気モデルとなったわけだ。今でも旧車ファンの間で根強い人気を保つ、日本の名車のひとつに数えられる。

三菱がスーパースポーツを投入した理由

次の疑問は、「なぜ三菱自動車がスーパースポーツを求めたの?」というものだ。これには当時の時代の空気と、三菱自動車の企業的な都合があったというのが理由だろう。

GTOの生まれた1990年は、バブル絶頂期であり、スポーツカーの人気も絶大だった。そんな中、ホンダのNSXを筆頭にライバル各社がスーパースポーツをリリースしている。三菱自動車は当時、そのホンダと業界3位の座を争っていた。だから、スーパースポーツをやらないなんてことは、考えられなかったのだ。

また、企業的な都合もあった。当時、三菱自動車が資本提携していたクライスラーの存在だ。クライスラー側から、「アメリカで売るスポーツカーがほしい」という要望があったという。

そこで、三菱自動車が開発・生産を担当する、クライスラーと三菱自動車の兄弟車という企画が生まれた。そう、GTOにはアメリカに兄弟がいたのだ。ダッジブランドから販売され、その名を「ステルス」という。

ちなみに海外市場では商標の都合からGTOの名称は使えないため、「3000GT」の名前で販売された。忘れてしまった人も多いだろうけれど、昭和時代の三菱自動車はクライスラーと提携していたのだ。

また、販売の主戦場は日本ではなくアメリカと考えられていた。そのため従来の日本向けの三菱自動車のモデルとは関係なく、アメリカでの受けが重視されていた。それが、GTOのグラマラスなデザインの最大の理由だろう。

FFベースなのは「当時の最先端」だから

最後の疑問は、「なぜFFをベースにしていたのだろうか?」という点だ。スーパースポーツといえば、ほとんどが後輪駆動を基本としている。エンジンを縦置きしたFR、もしくはミッドシップの後輪駆動車だ。

ところがGTOは、FFベースの4WD。スポーツカーというよりも、乗用車によくあるレイアウトだ。そうした構造になったのは、当時の“技術の都合”と言えるだろう。

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