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光源氏の内に混在する「亡き人への情」と「浮気心」 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・夕顔⑨

東洋経済オンライン / 2024年3月31日 16時0分

「か弱い人のほうがずっといい。賢すぎて我の強い女性はまったく好きになれないよ。この私がしっかりしていないからかもしれないね。素直で、うっかりすると男にだまされそうで、それでいて慎み深く、夫を信頼してついていく女性がいちばんいい。そういう人にあれこれと教えながらいっしょに暮らして、成長を見守っていけば、情も深まるに違いないだろうね」

その光君の言葉を聞いて、

「まさに女君はそのようなお方でございましたのに、本当に残念なことでございます」

胸がふさがれる思い

右近は泣き出してしまう。空が曇ってきて、風が冷たく感じられ、光君はしんみりともの思いに沈む。

見し人の煙(けぶり)を雲とながむればゆふべの空もむつましきかな


(恋しい人を葬った煙があの雲になったと思うと、夕方の空も親しく思えてくる)

と独り言のようにつぶやくが、右近は返歌もできない。自分がこうして光君のおそばにいるように、女君も生きていらして、お二人が並んでいらっしゃったのならどんなにすばらしいだろうと、胸がふさがれる思いである。

あのちいさな宿で、うるさいと感じた戸外の砧の音も思い出すと恋しくなり、光君は「八月九日正(まさ)に長き夜 千声万声了(や)む時なし」と、白楽天(はくらくてん)の詩を口ずさみながら横たわる。

さて、伊予介(いよのすけ)の家の小君(こぎみ)が参上することもあるが、光君はとくに以前のような言伝(ことづ)てをするわけではない。きっとあの女はもうだめだと、あきらめてしまわれたのだろうと胸を痛めているところへ、光君がお患いになっていると耳にし、女(空蟬(うつせみ))はさらに悲しい気持ちになった。夫とともにいよいよ遠方の地に下るのもさすがに心細く、本当に自分のことはお忘れになったのだろうかと試みに、

「ご病気と伺って心配しておりますが、口に出しては、とても……

問はぬをもなどかと問はでほどふるにいかばかりかは思ひ乱るる
(私からはとてもご様子を伺えませんのを、なぜかとお訊きくださることもなく月日が過ぎます。どんなに私は思い悩んでいることでしょう)

『ねぬなはの苦しかるらむ人よりも我ぞ益田の生けるかひなき(拾遺集/じゅんさいを繰る、苦しいという人よりも私のほうがもっと生きる甲斐もない)』という古歌は、まさにこの私のことでございます」

と、文をしたためた。女のほうから手紙が来るなど、今までにないことだったので、けっして彼女のことを忘れていたわけではない光君は、さっそく返事を書く。

逢おうという気持ちはなかったけれど

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