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愛知県民すら知らない「豊橋うなぎ」のこだわり 県収穫量8割以上占める「一色産うなぎ」との差

東洋経済オンライン / 2024年3月31日 13時0分

「高校を卒業したら、私が会社を立て直そうと思いましたが、右も左もわからなかったので、知り合いの卸問屋で修業をさせてもらいました。それで20歳の誕生日に会社を引き継ぎました。でも、まだ社長としての自覚がなくて、3、4年経った頃からこのままでは潰れてしまうという危機感をもって仕事に取り組みました」(夏目さん)

夏目さんが考えたのは、メインの卸業以外に新たな収入源を増やすことだった。それが加工・販売だった。実は、夏目商店は創業者の祖父が業者から買い取ったうなぎを焼いて販売したことが原点となって卸問屋として開業したという歴史がある。

夏目さんが会社を引き継いだ頃、うなぎの価格がじんわりと上昇しはじめていた時期でもあり、この先、卸業だけでは厳しいと思っていた。何よりもお客さんに美味しいうなぎを提供したいと考えると、養鰻をテコ入れして加工、販売まですべて自社で行うのがベストだろうと判断した。

「ところが、先代の頃から働いている社員たちから『卸業だけでよいのではないか』と反発されましてね。新規事業に対する不安や私のやり方に対する不満もあったのでしょう。1人辞めると、また1人、2人と辞めて、最終的に私と姉の2人だけになってしまったこともありました。その時期がいちばんキツかったですね」(夏目さん)

美味しいうなぎを海外に輸出するのが夢

しかし、養鰻から加工、販売まですべて手がけるという思いはブレることがなかった。知り合いのうなぎ加工会社から買い取った中古の機械でうなぎを焼いて販売していたところ、食品卸会社から「地産地消をテーマにしているスーパーで地元のうなぎを扱いたい」と声が掛かった。そこから評判が広がっていき、販路も増えていった。

加工をはじめてから程なくして会社の敷地内に建てた直売所(現在は移転)にも近くに住む人々が訪れるようになった。また、地元の人々に感謝の気持ちを伝えようと年2回開催しているうなぎの特売イベントでは、人が集まりすぎて付近の道路が大渋滞になったこともあった。

「販売のメインは自社のECサイトになります。地元よりも関東からの注文が多いので、豊橋うなぎの知名度も関東のほうが高いかもしれません。現在、新しい加工場を建設していまして、今年4月から稼働する予定です。HACCPなどにも対応して、将来的に海外にもうなぎの加工品を輸出することができればと思っています」(夏目さん)

うなぎの加工品の輸出は中国が盛んに行っているが、日本のうなぎと比べるとクオリティはまだまだという話を耳にする。うなぎに塗ってあるタレをわざわざお湯で洗い流してから自家製のタレを使って焼き直している店もあるという。言い換えれば、まだその程度のレベルなのだ。

筆者が食べた豊橋うなぎの白焼きなら間違いなく世界中の美食家たちを唸らせることができると思う。豊橋うなぎが世界を席巻する日を楽しみにしている。

永谷 正樹:フードライター、フォトグラファー

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