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「早大1浪2留中退」名家の母を嘆かせた彼の後悔 早稲田行きたい一心で浪人を決意、彼のその後

東洋経済オンライン / 2024年3月31日 7時0分

こうして猛勉強を重ねた西さんは、成績を一気にジャンプアップさせます。8月は模試の偏差値も60で、早稲田のすべての学部でE判定でしたが、10月には偏差値68まで上昇してA判定も出るようになったそうです。一緒に代ゼミに通っていた5人の友達の中で、最初は最下位の成績でしたが、わずか2カ月でトップになりました。

予備校のチューターからも驚かれたこの大変身には、勉強法を変えたことも大きかったようです。

「対面の授業のほうがいいと思っていたのですが、夏が明けてから、代ゼミのサテライト校のほうに変えて、東京の講師の授業を受けるようにしました。そうすると授業の効率がよくなり、テキストも早稲田に特化したものになったので、勉強が楽しくてしょうがなくなりました」

東大でまさかのA判定が出る

充実した日々を送る中で入試本番に突入した西さんは、現役時に受験していなかったセンター試験を受験しました。かなりいい手応えだったそうですが、その判定結果を見てさらに驚いたようです。

「当時のセンター試験は3科目で、東大の後期試験を受けることができました。代ゼミに持ち帰って自己採点をしたところ、90%以上取れていて、東大の判定もAが出たんです。でも、僕は早稲田しか興味がなかったので、受けませんでした」

こうして早稲田の受験本番に臨んだ西さんは、政治経済学部、法学部、社会科学部を受けます。「これ以上の浪人は許さないから」という母親の意向もあり、同志社大学、立命館大学、青山学院大学も受験し、同志社はダメだったものの、立命館と青山学院は合格しました。

しかし、早稲田の受験はまったく手応えがなく、全滅したと思ったそうです。

「東京のホテルに泊まっていて、2月21日の政治経済学部と22日の法学部の合格発表を見に行ったのですが、どちらも落ちていました。もうダメだ、終わったと思って、親にお願いして、2浪する覚悟で『青学の入学金まだ払わないで』と伝えました。そう思って最後に24日、社会科学部の発表を見に行ったら……、受かっていました。とても嬉しかったですね」

こうして西さんの激動の1年間は終わりを告げます。短くも激しい浪人生活を経験してよかったことを聞いてみると、「初めて自分で自分の人生を考えて頑張れた」こと、頑張れた理由は、「早稲田に行ったら、楽しいと思い込んでいたから」と答えてくれました。

「早稲田のすべてが美しいと思っていました。早稲田大学のサークルが発行している雑誌『早稲田魂』を買い集めたり、大隈講堂の写真を机の前の壁に貼ったりして、その前でハチマキをして勉強をしていましたからね。早稲田に行きたいと本気で思って、受験勉強をする日々はとても楽しかったです」

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