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「早大1浪2留中退」名家の母を嘆かせた彼の後悔 早稲田行きたい一心で浪人を決意、彼のその後

東洋経済オンライン / 2024年3月31日 7時0分

恋い焦がれて入った念願の早稲田での生活は、楽しくて仕方がなかったそうです。

塾や家庭教師・引っ越しのアルバイトをしたり、入ったサークルの人たちと自分の下宿先に入り浸って、お酒や麻雀をして交流をしたりする日々を送った西さん。だんだんと学校に行かなくなり、1年目に36単位を取ったものの、2年目には8単位、3年目には0単位になり、6年生で学校を中退して地元に戻ることになります。

浪人・留年・中退を経て多様な職業を経験

しかし、彼は持ち前の明るさとプラス思考で、家電量販店の仕事に就き、そこから飲み屋で知り合った人のつてで印刷会社の正社員になります。その後、イベント企画やデイトレーダーなど、さまざまな仕事を経験する中で、世論調査の仕事をした際に、その調査を運営していた大手企業グループの人事にスカウトされました。それがきっかけとなって管理部門のキャリアを歩み始めます。その後、2社の転職を経て、現在はIT通信関連スタートアップ企業の経営メンバーになりました。

浪人・留年・中退のあとにも、多様な職業を経験して、現在経営メンバーとして働く西さん。「異業種交流会で会う50~60代の方に自分の経歴を話すとウケます (笑)」とはにかみながら語る彼は、誰の懐にも入り込める天性の人当たりのよさと、ずば抜けた集中力で、大学中退後のキャリアを築いていました。

今の人生に生きる能力の数々は、浪人時の経験で身についたものでもあったそうです。彼は、自身が「落ちこぼれだと思えた」ことが精神面にも大きな影響を与えたと語ってくれました。

浪人こそ必要なキャリアだ

「浪人当時、自分がちゃんとやらなかったから大学に落ちてしまったと思います。あのとき自分のことを落ちこぼれだと感じられたことが、のちの自分の人生にとっていいほうに作用していると思います。

今までの人生で、とても優秀な会社員の方々にもお会いしてきましたが、『勝手に会社の指示を外れるようなことはできない』と思ってしまい、その人が本当に好きなこと、やりたいことができていないと感じました。本人はやりたいことをやっているつもりでも、今まで人に指示された道を歩いてきたから、完全に自由になれていないんだと思うのです。

もし自分が現役で大学に入って、4年で卒業して、新卒で大手企業に入っていたら、人を肩書きで見てしまい、自由に好きなことができない人間になったかもしれません。だからいま僕は、企業経営をする立場になったので、社員にも率先して、『せっかくベンチャーにいるんだから好きなことをやりなよ!』と言うようにしています。今からの時代は、人と違う選択ができるようになる浪人こそ必要なキャリアだと思うんです」

「能天気な人生で大勢の人に助けてもらっていますが、その経験があったからこそ今、楽しく生きられています」と語る彼の人間性は、間違いなく浪人生活の1年が作り上げたのだと思いました。

西さんの浪人生活の教訓:人に指示された道を離れてはじめて、本当にやりたいことができるようになる

濱井 正吾:教育系ライター

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