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「ツンデレな道綱母」が藤原兼家にした嫌がらせ バカにされても大納言にまで出世した藤原道綱

東洋経済オンライン / 2024年3月31日 7時20分

藤原道綱の母は、藤原兼家の妾だった。『蜻蛉日記』によると、待ちわびた兼家をすんなりと受け入れなかった夜もあったようだ。

あるとき、夕方になると兼家が「宮中の用事から逃れることができないんだ」(「内裏にのがるまじかりけり」)といって、出ていってしまった。

いかにも怪しいと考えた藤原道綱の母は、人についていかせて、兼家を監視させると、こんな報告を受ける。

「町小路のあるところに、車をお停めになりましたよ」

(町小路なるそこそこになむ、とまり給ひぬる)

宮中の用事といいながら、ほかの女のところに行ったらしい。そんなことだろうとは思ってはいても、真実を突きつけられれば、つらいもの。

藤原道綱の母も「やっぱりね」(「さればよ」)と予想していたことではあったが、「いみじう心憂し」と、大変つらかったと胸中を吐露している。

藤原道綱の母が兼家に和歌を贈る

とはいえ、兼家をすぐにとがめる術もない(「言はむやうも知らで」)ままに、2、3日が過ぎると、家の門を叩く者がいた。兼家である。

嬉しい来訪には違いなかったが、すんなりと戸を開けるのは、なんだか癪だったのだろう。藤原道綱の母が、門を開けないで意地を張っていると、兼家はほかの女性のところへと行ってしまった。

兼家からすれば、戸を開けてもらえないのだから、仕方なく立ち去ったまでのこと。だが、わだかまりがある女性側からすれば「ダメなら諦めて、すぐほかのところに行くんかい!」となんだか納得できないのは当然だろう。

「そのままなにもしないでいられまい」

(つとめて、なほもあらじ)

そう考えた藤原道綱の母は、兼家にある歌を贈ることにした。

「歎きつつ ひとり寝(ぬ)る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る」

現代語訳すれば「嘆きながら、1人で孤独に寝ている夜が明けるまでの時間がどれだけ長いかご存じでしょうか? ご存じないでしょうね」というものになる。

「中古三十六歌仙」に選ばれるほど、和歌の名手だった藤原道綱の母だったが、この歌については「例よりはひきつくろひて書きて」とある。いつもよりも注意を払って、創作したらしい。そんな思いが込められているからだろう。この歌はのちに「百人一首」にも選ばれることになる。

藤原道綱の母は、この力作を色のあせている菊に挿して、兼家に送っている。この秀逸で切ない和歌を受けて、兼家はこんな返事をした。

「夜が明けるまでも待ってみようとしたけれども、急な呼び出しが来てしまって」

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