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なぜ?私は「コレ」で心理的安全性をやめました 「安心」ではなく「安全」であることの意味を問う

東洋経済オンライン / 2024年4月5日 11時50分

しかし、価値観・考え方が同質であれば、似通った意見・アイデアしか出てこない。それは、メンバーにとっては安心であるが、多様な意見を受け入れるという「心理的安全性」のそもそもの目的に反してしまう。したがって、本当に心理的安全性が高いチームをめざすなら、マネジャーは「安心できない」状況を許容できる度量が求められるのではないだろうか。

ある運輸会社のマネジャーは、このことを理解したために、

「心理的安全性をやめます」

と宣言した。理由を聞くと、

「社長は、自分が不安にならない程度の多様な意見しか求めてないからです」

経営のトップが「心理的安全性」という言葉を誤解している限り、導入することはやめたほうがいいと判断したのだ。

逆に、若い社員たちは「心理的安全性」について正しく理解しているという。だから、

「当社は、心理的安全性が高い組織をめざす」

と宣言してしまったら、ガンガン問題提起してくるだろう。そうすると社長が不安になり、

「最近の若者はけしからん! もっと礼節をわきまえろ」

と言いかねない、と言うのだ。組織の空気が悪くなり、逆効果だというのである。

「社長はあと2年で引退し、私が事業を承継します。それまでは心理的安全性という言葉を禁句にしてます」

と言い、脱「心理的安全性」をやり抜いた。

「心理的安全性の高さ」は、ひとつのスタイルにすぎない

繰り返すが、心理的安全性が高いチームとは、安心できる雰囲気が漂うチームのことではない。どんなに実績のあるマネジャーの前であっても、自分の意見を言うことができるような「安全性」が担保されていないといけない。

だから心理的安全性が高いチームのマネジャーをしていると、マネジャーは覚悟が必要だ。いつ、どのタイミングで、誰から問題提起されるかわからない。ストレスを抱えることも多いだろう。もちろん、安心なんてできるはずがない。

トップにその覚悟がなければ、潔くやめたほうがいい。それこそ多様性の時代である。絶対に心理的安全性が高いチームにしなければならない、ということはない。

同じような価値観のメンバーが集まり、マネジャーの指示に従って仮説検証サイクルを回したほうがいい。そのほうがストレスがかからないというスタイルも、もちろん悪くないのだから。

横山 信弘:経営コラムニスト

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