単身で軍に抵抗したミャンマー元警察官の願い スーチー氏の顧問を救援、日本で難民認定
東洋経済オンライン / 2024年4月5日 8時0分
軍事クーデターの5日後、ターネル氏は逮捕され、インセインにあった刑事捜査部に連れてこられ、そこで尋問を受けました。ターネル氏が連行された場所は非常に環境が悪く、オーストラリア大使館も当時、ターネル氏の安否を把握できていませんでした。
ターネル氏は逮捕直後、身体的な虐待も含めてひどい扱いを受けていました。私は捜査チームに虐待をやめ、食事やトイレの状態を改善するように要請しました。そしてターネル氏について「本人は何も罪を犯していない。すぐに家族の元に返すべきである」と報告書に記しました。
日本にどのように逃れたのか
――ターネル氏のその後は?
1年半以上も拘留されました。釈放されたのは2022年11月17日。ターネル氏の所在を知ることになったオーストラリア政府や大使館がミャンマー軍事政権に強く抗議し、大使自らミンアウンフライン司令官にターネル氏の釈放を求めました。
――ターネル氏の釈放後、チョーサンハンさんはどうしましたか?
私はターネル氏の件に関与したこと、その後、民主主義を求める市民の抵抗運動に理解を示したことから、もはやミャンマーにはいられないと考えました。
そこで博士号を取得するための留学を理由としてパスポートを取得し、留学先のタイに向かいました。ただし、隣国のタイも安全とは言えません。幸いにもビザが下り、日本に逃れることができました。
――ミャンマーで軍に抵抗することには勇気が必要です。チョーサンハンさんが、軍が支配するミャンマーの体制に疑問を抱くようになったきっかけは。
私は1991年にミャンマー南部のエーヤワディ管区の小都市で生まれました。私の父母は小さな雑貨店を営んでいて、姉と2人の弟がいました。高校卒業前の最後の試験を受け、その結果を待っているとき、滞在先の友人が住んでいた村でサイクロン・ナルギスの直撃を受けました。
サイクロン・ナルギスではミャンマー全土で約10万人が死亡し、私は木に抱きついて一命を取り留めました。家族は幸い、無事でしたが、多くの友人が亡くなりました。
そのとき、ミャンマーを支配していた軍事政権は避難指示を出さず、被災者に十分な支援の手もさしのべませんでした。その頃から軍が支配するミャンマーのあり方に強い疑問を抱くようになりました。高校時代、アウンサンスーチー氏の父親でビルマ建国の父と言われるアウンサン将軍の伝記を隠れて読み、感銘を受けました。
内部から警察の体質を変えたかった
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