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年収1500万が中途障害で暗転「非正規雇用」の現実 58歳男性「何もできない人」と見なされる苦悩

東洋経済オンライン / 2024年4月6日 7時50分

半年ほど過ぎたころ、「自分は誰からも必要とされていない」と心が折れた。妻に「目が死んでいる」と心配され、精神科を受診すると診断は重度の鬱病。飼い犬に癒やされて少しずつ立ち直ったが、約10年間は働けずに無収入状態が続いた。

濱田さんの介護のため、妻は仕事を辞めてパートタイマーになっていた。子供はおらず2人暮らしだったが、その収入だけでは家計を支えきれず、貯金はやがて底をついた。改めてハローワークへ通い始めると、障害者向けの合同面接会への参加を勧められた。

ここから濱田さんの「流浪」が始まる。再び働き始めた2015年から8年間で計4回の離職を経験するのだ。そのうち3社は上場する大企業、1社も上場企業のグループ会社だった。障害者の法定雇用率が上がり、企業の社会的責任(CSR)を重視する風潮が高まった結果、働き口は以前よりも見つけやすくなっていた。

ただ、どの会社でも待遇はパートか契約社員だった。最初に入ったガス会社の月給はおよそ15万円、手取りで約12万8000円。低賃金以上につらかったのは、満足に仕事を与えられないことだった。入社初日に上司から言われたのは「あなたは勤務時間中、ここに座っているだけでいい」。コールセンターのオペレーターとして採用されたものの、最初から法定枠を埋めるための数合わせでしかなかったのだ。

濱田さんが「ちゃんと働きたい」と訴えると、ようやく業務が割り振られた。ただ、障害への無理解も感じた。例えば、大量の書類を運ぶように指示されても、濱田さんは持てない。「できない」と言うと、「業務をより好みしている」と受け止められてしまう。心理的に落ち込み、約3カ月で退職した。

かつての経験を生かそうと、営業職の求人を探した。だが、障害者枠では見つからない。一般枠での応募も考えたが、それで採用されると、障害への合理的配慮を受けられなくなる懸念があった。濱田さんは低気圧の日に体調を崩しがちで、通院が必要になる。急な欠勤を認めてくれる職場でなければ、働くのは難しい。

結局、事務職で貿易やコンサルなどの会社を転々とした。この間の年間最高収入は約260万円にとどまる。濱田さんは「戦力になれる自信はあったのに、社会は中途障害者に冷たいなと感じた」と振り返る。

対話で関係性築きやりがいも

1カ所だけ、やりがいを感じられる職場もあった。2016年から契約社員として3年間在籍した種苗メーカー、サカタのタネだ。造園を担当する部署(現在は分社化し、サカタのタネグリーンサービス〈GS〉)に配属された。

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