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2017年の入団会見でも見せた大谷翔平の「気配り」 ファンの心をわしづかみにした「祝福の言葉」

東洋経済オンライン / 2024年4月7日 15時0分

大音量のアップテンポの曲も鳴り響くなど、震えるほど格好いい演出だった。

そんな中、真っ赤なユニホームに袖を通した大谷は、カリフォルニアの空気を目いっぱい吸い込み、第一声を発した。

「ハイ、マイネーム イズ ショーヘイ オオタニ」。英語で自己紹介した後、こう誓った。「これからエンゼルスの一員としてファンの皆さまとともに優勝を目指したい」。

鳴り止まない大谷コール。さらに「今日、トラウト選手の結婚式がありますので結婚おめでとうございます」と、エ軍が誇るスターにも祝福の言葉を贈り、ファンのハートをわしづかみにした。

7球団に絞った面談でエンゼルスを選んだ。「本当に縁みたいなものを感じた」。面談の席ではトラウトとテレビ電話で話す機会が設けられ、共闘を呼びかけられた。

26歳にしてMVPを2度獲得の現役最強メジャーリーガー。同じ「世界一の選手」を目指す大谷の心は突き動かされた。

地域性やリーグの違いは決め手ではなく「本当に感覚的なもの」とも言った。二刀流のバックアップはもちろん、トラウトを代表とするエ軍の家族的な雰囲気は、どこか日本ハムに近いものがあったのか。

背番号は17。日本ハムで11を背負った大谷は「本当は(トラウトの)27にしようかなという気持ちはあったけど、埋まっていたので17番にしました」と再び"トラウトいじり"で爆笑を誘ったが、こうも言った。「新たな気持ちでここで頑張っていくことを決めた時に、17にしようかと思った」。

17は花巻東の出世番号に当たり、過去に菊池、そして大谷も背負った。メジャーを夢見た初心に帰る。実直な大谷らしい選択だった。

大谷は会見後、球場コンコースで日本メディア、米メディア、現地テレビ、ラジオ局の取材に対応した。

通常、日本メディアは日本メディア用の取材時間しか話を聞くことができず、そのほかはその場から離れるのが"暗黙のルール"だったが、米国での取材が初めてだった私含め、他の日本人記者は、すべてのインタビュー現場を大谷のそばで聞いた。

当時の日本メディアに対応する大谷の写真はエンゼルスタジアムの会見室に飾られ、私も後ろ姿ではあるが、大きく映っていることが秘かに自慢だ。

なぜエンゼルスだったのか?

会見後、ホテルに戻って原稿を書いていると、会社から「大谷が帰る空港をケアするように」との指示が飛んだ。

当然の指示だが、私の処理能力の許容量を超えていた。iPhoneのレコーダーアプリ「ボイスメモ」(以下、レコーダー)の音声の書き起こしもそこそこに、ホテルからレンタカーで約30分かけて空港へ。空港のベンチで大谷が来るか警戒しながら、レコーダーの音声を書き起こし、原稿を書くという、これまでにない過酷な状況だった。

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