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著名企業の創業者3人「飯田兄弟」何がスゴいのか それぞれセコム、オーケー、天狗を始めた

東洋経済オンライン / 2024年4月11日 8時0分

筆者は「兄弟」という切り口で、飯田兄弟各氏にインタビューした経験がある。

兄弟だから似ていると言えば当たり前だが、江戸っ子の粋が伝わってくる雰囲気があった。偉そうにしている感じはまったくない、かといって、へりくだっているわけでもない。人を包み込むような何かがある。筆者も多くの経営者に会って来たが、最近、こういうタイプの経営者がいるようでいない。

当然、社内では厳しい一面を見せることもあるだろうが、筆者も含めて社外の人を迎えた時の飯田兄弟各氏の印象は、頭の回転が速く、ホスピタリティに富んでいた。そして、商人道を言葉にする表現力に長けていた。

飯田兄弟の優れた思考力と表現力、そして、商人(企業家)として必須の構想力と実践力を磨く上で、父・飯田紋治郎氏から受けた影響が大きかったようである。

岡永は1884年(明治17年)に「岡本屋」として創業。初代の飯田永吉氏が味噌・醤油・酒の小売業を日本橋馬喰町で始め、2代目の紋治郎氏が屋号を「岡永商店」に変え卸売業に転業した。飯田兄弟の父もたんに親の事業を後継するだけの世襲経営者ではないイノベーターだったが、日本橋商人の心構えは死守した。息子たちにも口を酸っぱくしてそれを教え込んだ。

亮氏から聞いた話だが、毎日夕食時、父は5人の兄弟を長男から五男まで順番に正座させ、食事に口をつける前に訓示を行った。子供たちを大人として扱った。話を終えた後、5人兄弟全員に意見(コメント)を求めたそうだ。亮氏に順番が回ってきたとき、最後なので「兄さんたちと同じです」と言ったところ、父は突然、亮氏の前に来て大きな声で諭した。

「兄さんたちと同じとは何事か。お前の考えがあるはずだ。よく考えて、お前だけしか思いつかない意見を言え」

そして、訓示の最後に締めくくる言葉は毎回同じだった。

「人に雇われる身にはなるな」

つまり、経営者になれ、ということである。

熱烈なファンができて初めて利益を得られる

経営者(商人)になったからには、「忘れてはならない心得がある」と言いながら書をしたためた。

「至誠天に通ず」

勧氏はこの言葉をオーケーの経営に当てはめて、次のように解釈していた。

「お客様に信用してもらわないと、熱烈なオーケーファンになってくれない。金儲けだけではなく、熱烈なファンができて初めて利益をもたらしてもらえる」

「オネスト(正直)カード」はこの考えを具体化したツールと言えよう。

紋治郎氏は商売熱心だったが、株式投資にも熱をあげていた。その影響もあったのだろうか。亮氏はセコムを創業する前、証券会社設立を考えていたという。勧氏も岡永に入社したての頃、日本橋からさほど遠くないこともあり、兜町の証券取引所に毎日、「父のつかい」で兜町に通っていた。そして、電話で売り買いの注文を受けていたのだった。

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