ライオン宰相・濱口雄幸の直筆に見る凶弾の痛苦 国立国会図書館で閲覧できる死への道程
東洋経済オンライン / 2024年4月15日 12時0分
OSINT(オープンソースインテリジェンス)が注目される昨今、人生の終わりに触れられるオープンソースが存在する。情報があふれて埋もれやすい現在において、個人の物語を拾い上げて詳細を読み込んでいきたい。
【写真を見る】現在のJR東京駅構内にある、浜口雄幸銃撃現場のマーク(写真右側の床)
要人の日記や手紙をありのままに公開
国立国会図書館といえば国内のすべての出版物を保存していることで有名だが、それ以外にも江戸期以前の古書や議会資料などの一般に流通していない資料も大量に所蔵している。そのうち、近現代に国を動かしてきた人物の私文書などを管理しているのが憲政資料室だ。
この憲政資料室がオンラインで公開しているコンテンツに「国立国会図書館憲政資料室 日記の世界」がある。幕末から昭和までの要人41人が残した日記や手記をピックアップしており、ここから各人の全収録物のページに進むことができる。
憲政に関わる重要な記述が追える貴重な歴史資料だが、歴史上の人物の晩年を本人の筆で辿れるオープンソースと捉えることもできる。たとえば、元米沢藩士で明治維新後に政治家として活躍した宮島誠一郎(1838-1911)が自ら「絶筆」と称して残した毛筆の漢詩や、法学者で大蔵官僚の阪谷芳郎(1863-1941)が亡くなる1カ月前まで記した日記など、亡くなる直前までの心境が読み取れるものも多い。
なかでも注目したいのが、昭和初期に内閣総理大臣を務めた濱口雄幸(1870-1931)が残した日記だ。
1929年に59歳で立憲民政党初の首相となり、その風貌と厳格な性格からライオン宰相と呼ばれた。金本位制への復帰(金解禁)や軍拡の抑止などを行うなかで、1930年11月14日に東京駅で腹部に銃撃を受けたことで知られる。一命を取り留めたものの、そこから体調が万全に戻ることはなく、翌1931年8月26日に息を引き取った。
銃撃されてから、一時回復し、再び衰弱して筆をおくまで。その間に何を思い、どんな状況に身を置いていたのか。筆の勢いや執筆頻度、健康だった頃からの変化などから読み取れることは多い。
憲政資料室は1928年(昭和3年)から1931年(昭和6年)までの濱口雄幸の日記を所蔵しており、その全ページの画像を著作権保護期間満了の資料として公開している。ここから濱口の晩年を追っていきたい。
突然細くなる文字
日記の媒体には博文館の日記帳「當用日記」を使っており、1年ごとに4冊が残されている。四女の富士子さんが勧めたのをきっかけに日記を書き始めたという。
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