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ライオン宰相・濱口雄幸の直筆に見る凶弾の痛苦 国立国会図書館で閲覧できる死への道程

東洋経済オンライン / 2024年4月15日 12時0分

明治時代中期には博文館をはじめとした複数の出版社が日記帳を刊行しており、1年単位でデザインされた日記帳に日々の出来事や思いを綴る風習は庶民の間にも広く浸透していた。濱口の日記も日記帳に印刷された日付や日記欄に沿って記されている。毎年違った色や柄のカバー紙で覆うなどの自己流のアレンジも見られるが、基本的にはデザインに委ねた素直な使い方といえる。

公開資料で辿れる最初の記述は、昭和3年の元日に万年筆で記された「宮中拝賀式参列後鎌倉ニ赴ク」というもの。その後数カ月はたまに1行で簡潔に議会や来客の予定を書き込む程度だったが、次第に執筆頻度と文字量が増えていき、欄外に文字が溢れる日も見られるようになった。すっかり毎日の執筆が習慣化したことがうかがえる。

そのスタイルは昭和5年11月11日まで続いたが、翌日の日記から突然文字が細くなり、紙面の空気が変わる。

<十二、十三ノ両日如何ナル故カ記帳ヲ欠グ、明年一月二十一日退院ノ後モ記臆ナシ>(昭和5年11月12日と13日のページより)

退院した翌年1月21日以降に記憶を掘り起こし、過去に遡って筆を執ったものの何も思い出せなかった様子だ。ここに日常の明らかな断絶がある。

何が起きたのかは11月14日のページに自ら記している。もちろん後日の筆だ。以下、読みやすさを重視して一部漢字表記を改め、カナ表記をひらがなに代えて、適宜改行しながら引用する。

<岡山県下における陸軍特別大演習陪観のため 午前9時発「燕」号にて出発の間際、8時57分東京駅プラットフォームにおいて 佐郷屋留男(※筆者注:銃撃犯。佐郷屋留雄=さごうや とめお)なる一青年のため、モーゼル式拳銃をもって狙撃せられ 弾丸下腹部に命中重傷を負う>(昭和5年11月14日と15日のページより)

歴史に残る例の銃撃事件だ。濱口はさらに詳しい状況を後に唯一の自著『随感録』にまとめている。こちらの一部をなす原典の手記『随感随録』も憲政資料室で保管しており、全ページの画像が閲覧できる。主に退院して官邸で療養するようになった昭和6年1月から4月頃までに書かれたようだ。

その激動は普通の疼痛というべきものではなく

<それは列車側にいた一団の群衆中の一人のその下から異様なものが動いて「ズドン」という音がしたと思った刹那 自分の下腹部に異状の激動を感じた。その激動は普通の疼痛というべきものではなく、あたかも「ステッキ」くらいの物体を大きな力で下腹部に押し込まれたような感じがした。

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