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開発進むJR駅に負けない、「阪神芦屋駅」の底力 駅周辺は散策に最適、谷崎潤一郎「細雪」の舞台

東洋経済オンライン / 2024年4月16日 6時30分

1913年に官営鉄道の芦屋駅、1920年に阪急芦屋川駅が開業。宅地開発も北側(山側)へ広がった。高級住宅地で名高い阪急芦屋川駅北側にある六麓荘町で宅地開発が開始されたのは1928年のことである。

戦後になっても、芦屋の郊外住宅地としての人気は衰えず、宅地開発が進んだ。一方、先述した赤レンガ造りの劇場は火災で焼失。昭和30年代後半になるとスーパーマーケットの台頭により、阪神芦屋駅周辺の商店街も衰退していった。

1970年代に入ると兵庫県住宅供給公社が阪神芦屋駅南側にある芦屋浜の開発に着手。国も開発事業に加わった。1970年代末に芦屋浜団地への入居が始まり、阪神芦屋駅の乗降客数も増加に転じた。1975年頃には阪神芦屋駅の乗降人員は3万人を超え、国鉄芦屋駅の4万人まで迫る勢いだった。1981年には芦屋駅始発の区間特急が新設されている。

1987年の国鉄民営化後、JR芦屋駅の乗降客数が増加に転じた。きっかけのひとつとなったのがJR芦屋駅北側の再開発である。芦屋市は1975年に「国鉄芦屋駅周辺環境再開発基本計画」を策定。1980年代から1990年代前半にかけて、駅北側に商業施設「ラポルテ」、集合住宅等が次々と建設され、駅前広場も整備された。東京読売巨人軍の定宿である「竹園旅館」が「ホテル竹園」に生まれ変わったのもこの頃である。JR芦屋駅前は阪神間を代表するショッピングセンターになったのだ。この余波を受け、阪神芦屋駅の乗降客数は減少に転じた。

芦屋市はJRに続き阪神芦屋駅北側の再開発を検討していたが、1995年に発生した阪神淡路大震災により計画は吹き飛んでしまった。現在、市はJR芦屋駅南側の再開発計画に注力している。芦屋市の担当者によると「現時点で阪神芦屋駅周辺において、JR芦屋駅南側のような再開発計画はない」と述べつつも、「阪神芦屋駅周辺は多様な要素が集まる市の重要拠点」という認識を示した。

戦前文化の面影残る駅周辺

JR芦屋駅は市のショッピングセンターとしての役割を果たす一方、阪神芦屋駅は昔ながらの店舗もあり、庶民的な山手の街という雰囲気を残す。散歩にぴったりな駅ともいえ、単なる阪神間の中間主要駅として片づけるにはもったいないくらいだ。

まず、駅ホームの下には六甲山から大阪湾まで市内を横断する芦屋川が流れる。芦屋川沿いには松並木が並び、ところどころにシックな洋風建築物が建つ。阪神間らしい文化的景観を形成し、2012年には芦屋川自体が芦屋市の指定文化財に指定された。一時期はパリのセーヌ川になぞらえ、「芦屋川を世界遺産に」という声もあったくらいだ。

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