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1960年に誕生「証券コード」のあまりに奥深い歴史 JR九州のコードが9023にならなかったワケ

東洋経済オンライン / 2024年4月18日 9時20分

セイコーグループも1971年夏号まで7761だったが、秋号からいきなり現在と同じ8050になった。この番号はもともと、1963年に上場廃止になった日本事務光機が使っていた番号だ。

この理由を証券コード協議会に尋ねたところ、「当時の資料がなく、確証はないが、日本産業分類上の百貨店の分類が変わり、こちらも変えざるをえなかった可能性がある」という。

だが、やがて業種とコードのひも付けは支障が出始める。新規に上場する会社がどんどん増える業種と、ほとんど増えない業種の落差は大きく、どんどん増える業種で番号が不足しはじめたのだ。

このため、当初は上場廃止になった銘柄の番号を再利用することで、不足する番号を補う形がとられた。有名なのは、映画会社の大映とエイチ・アイ・エス、安宅産業とキヤノンマーケティングジャパンの組み合わせだ。

同一法人が再上場した場合は、再上場時点で同じ番号が空いていればそれが割り当てられるが、例外もある。現在1443の技研ホールディングスは、2018年1月に株式移転による持ち株会社化で上場した際、このコードになった。このとき、同社は実は実質3度めの上場だった。

そもそも1962年9月、技研興業として東証2部に上場したときの証券コードは1828だった。当時は六脚ブロックの工事とその型枠レンタル事業を営んでいて、工事のほうがメインだったので建設工事業に分類され、この番号になった。

その後経営が悪化し、会社更生法の適用を申請して1970年5月に上場廃止になり、その後再建を果たして1983年11月に東証2部に再上場した。

だが、その際に割り当てられたコードは9764。この時点では1828はまだ空いていたのだが、六脚ブロックの工事ではなく型枠レンタルがメインの事業になっていたので、建機レンタル業のコードになったのだ。

業種ひも付けやめても再利用を継続

上場廃止会社のコードを再利用するという苦肉の策も次第に限界に達し、1993年7月からは業種とのひも付けをやめ、3000番台など比較的余裕がある番号帯を使う方法に代わった。

だが、業種とのひも付けをやめても再利用は続いた。それ以前に欠番になっていたコードは、欠番になってから1年以上経過していれば使用できるという規定が残されたのだ。

その代表例がトーア紡コーポレーションである。同社が使用している3204は、1975年1月に上場廃止になった大和毛織(やまとけおり)という会社が使っていた。一方1949年5月上場のトーア紡が、証券コード誕生時から長年使っていたのは1つ前の3203。2003年に株式移転による持ち株会社化で再上場した際、割り当てられた。

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