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43歳で死去「道長の兄」道隆のまさかすぎる死因 死因は疫病ではなかった、後継ぐ道兼も病死

東洋経済オンライン / 2024年4月21日 7時50分

新しい太政官の筆頭として、元皇族の橘諸兄が就任。以降、藤原氏は停滞することとなった。

疫病が追い風となって出世した道長

天然痘によって死亡した「藤原四兄弟」だが、その後、この4人を先祖として、それぞれの家が発展する。

武智麻呂の子孫が南家、房前の子孫が北家、宇合の子孫が式家、麻呂の子孫が京家として続いていく。このうちの北家に生まれたのが、道長である。

父の兼家のもと、5男として生まれた道長は当初、出世する見込みが希薄だった。妻の倫子との結婚話も、最初は父で左大臣の源雅信から拒否されたほどである。父の兼家の死後、案の定、長男の道隆が後を継ぐことになった。

ところが、天然痘と思われる疫病が全国的に拡大。猛威をふるうなか、道隆が亡くなり、さらにそのあとをついだ弟の道兼も死亡する。兼家と正妻格との間に生まれたのは、道隆・道兼・道長だったが、そのうちの2人の兄が死亡したため、道長のもとに政権が転がってくることとなった。

かつて藤原氏を衰退させた疫病が、道長に限っては、プラスに働いたともいえるだろう。つくづく強運の持ち主である。

もっとも43歳の若さで亡くなった道隆は、疫病ではなく、糖尿病の悪化が死因だったようだ。

『栄花物語』では、「水を飲みきこしめし、いみじう細らせ給い」と記されている。

そして、糖尿病が発症したのは、道隆の過度な飲酒習慣と無関係ではなかっただろう。道隆の酒好きについては『大鏡』で、こんな逸話がつづられている。

藤原道隆は酔い潰れることに慣れていた

賀茂社を参拝したときのことだ。下鴨神社の前では、三度の御神酒(おみき)を差し上げるのが、習わしとなっていた。道隆のお酒好きはよく知られていたので、神主が特大の盃を用意したところ、道隆は3杯どころか、7杯も8杯も飲んでしまったという。

その結果、どうなったか。『大鏡』では、次のようにつづられている。

「上賀茂神社に参上する車の中で、仰向けになって車の後ろのほうを枕にして寝てしまった」

(上の社に参らせ給ふ道にては、やがてのけざまに、しりの方を御枕にて、不覚におほとのごもりぬ)

儀式の酒を大量に飲んで寝てしまうとは、ただの酔っ払いおじさんである。

上賀茂神社に着くと、従者たちが車の轅(ながえ)を下ろして降りる準備をするも、一向に目覚める気配がない。

そのままにしておくわけにもいかないので、道長が自分の車から降りて、大きな声で呼びかけて、扇を打ち鳴らすが、道隆はまったく目覚める様子がない。仕方がないと、道長は道隆の袴の裾を荒々しく引っ張ると、ようやく起きたのだという。

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