1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

43歳で死去「道長の兄」道隆のまさかすぎる死因 死因は疫病ではなかった、後継ぐ道兼も病死

東洋経済オンライン / 2024年4月21日 7時50分

酔い潰れているところを、弟によって強引に起こされた兄。何とも気まずい瞬間だが、道隆がとった行動は意外なものだった(『大鏡』)。

「持っていた櫛やかんざしを取り出して、 髪の乱れを整えてから、車を降りられた。 その姿には酔いつぶれていた気配などまったくなく清らかな様子だった」

(御櫛、笄具し給へりける、取り出でて繕ひなどして、おりさせ給ひけるに、いささかさりげなく、清らにておはしましし)

酔いつぶれてもすぐに復活する男、道隆。『大鏡』は「道隆公のお酒好きは品のよいものでした」(この殿の上戸はよくおはしましける)としているが、こんな飲み方をしていれば、体を壊すのも無理はないだろう。

そんな道隆が病床に伏して、いよいよ亡くなろうとしているときのこと。周囲の人々が道隆の体を浄土のある西のほうへと向かわせては「念仏をお唱えなさいませ」と勧めたときに、道隆はこう言ったという。

「済時、朝光なども極楽に行くだろうか」

藤原済時や藤原朝光は、道隆の飲み仲間だ。3人で車中にいるときに、飲みまくって酩酊すると、簾を上げて冠を脱いで、髻を人前にさらすなど、バカ騒ぎをしたこともあったらしい。

飲み仲間を思いながら43歳で他界した

いよいよ人生の最期というときに思い出すのだから、道隆にとっては、気心知れたメンバーでの飲みの場が、それだけ楽しかったのだろう。酒量が多かったのは、父から摂政・関白を引き継いだ重圧もあったのかもしれない。

長徳元(995)年4月10日、道隆は43年の生涯に幕を閉じる。道隆が政権を握っていたのは、約5年間と短かったが、後を継いだ道兼にいたっては、わずか数日で病死している。

人の命はいつ途絶えるかわからないものだ――。道長はそう実感しながら、道隆の息子・伊周と、熾烈な後継者争いを繰り広げることになる。

【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
繁田信一『殴り合う貴族たち』(柏書房)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)

真山 知幸:著述家

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください