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「小学校を3カ月で辞めた」エジソンの驚く勉強法 牧野富太郎や森毅ら偉人たちの学習法を紹介

東洋経済オンライン / 2024年4月30日 14時0分

落ちこぼれだった少年エジソンは、地道な実験を重ねることで、1300以上のアイデアを形にする「発明王」として大きく飛躍していきました。

しかしながら、せっかくのよい発明も、知ってもらわなければ、意味がありませんよね。

エジソンは宣伝もとても得意でした。電球を実用的なものに改良すると、「ニューヨーク全体を電球で明るくしてみせます!」と新聞記者に話して、大盛り上がりに。実際のところ、実験はそこまで進んでいませんでしたが、新聞はこぞって話題にしたとか。

エジソンは、かつて駅で新聞を売る仕事をしていたこともあって、毎日新聞5紙を読むのを習慣していました。だから記事の取り上げられ方がよくわかっていたんですね。

エジソンの学びの言葉


「他の発明家の弱点は、ほんの1つか2つの実験でやめてしまうことだ」

新しい学問の扉を開いた牧野富太郎

勉強が大事と言われても、どこから手をつけたらいいかわからない……。そんな人におすすめなのが、「自分の好きなことを掘り下げる」。ゲームでもアイドルでもスポーツでも、なんだっていいんです。あなたが夢中になったことは、すべて学問の芽になります。

植物学者の牧野富太郎もそうでした。なんと牧野は小学校を2年生で中退しています。何も勉強が嫌いだったわけではありません。小学校に入る前にいくつも寺子屋を変えながら、習字・算術・四書五経の読み方などを、すでに習ってしまっていました。

先に勉強しすぎて、ちょっと退屈してしまったのかもしれませんね。しかし、それでも牧野は、年を重ねてから理学博士の学位も得てしまうという快挙を成し遂げています。一体、どんな学問で認められたのでしょうか。

牧野は、高知県の豊かな自然のなかで生まれたこともあり、幼少期からとにかく植物が大好き。家の裏手にある山に登っては、植物を採って観察する日々を過ごします。牧野はそんな体験を積みながら、『本草綱目啓蒙』という植物の本に夢中になりました。

「私は、いつもこの本をひっくり返して見ては、いろいろな植物の名をおぼえた。当時は実際の知識はあるが、名を知らなかったので、この本で多くの植物の名を知ることができた」

牧野は19歳のときに、顕微鏡や書籍を購入するため上京。同行者とともに、汽船や徒歩によって、神戸や京都、四日市などを経由しました。道中で珍しい植物があれば、茶筒に入れて故郷に送り、植えてもらっていたとか。

21歳で2度目の上京を果たすと、東京大学理学部植物学教室に出入りして植物学に没頭。生涯をかけて収集した植物標本は、なんと約40万点! 描いた植物図は約1700点にも。好きに夢中になることで、牧野は「植物分類学」という学問の扉を開いたのです。

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