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お金ではなく「サービスを配る」がなぜいいのか お金持ちにもサービス給付で格差がうまる理由

東洋経済オンライン / 2024年5月1日 18時0分

もうひとつ確認しましょう。それは、お金は疑心暗鬼を生むという問題です。

たとえば、障がい者に車イスを貸すとします。障がいのない人はそんなサービスは不要ですから、見向きもしないでしょう。

でも、お金を出すといったとたん、障がい者のふりをして不正を働く人があらわれるかもしれません。社会の全体が「あいつは不正な利用者では?」と心配になるでしょう。これがお金を配ることの難しさです。

サービスとお金の違いは、歴史からも学ぶことができます。

江戸時代の農村コミュニティを見てください。人びとは田植えや稲刈り、屋根の張りかえ、警察、消防、寺子屋のような初等教育、さらには介護までも、地域に住む人たちがみんなで汗をかき、お互いの《必要》を満たしあって生きていました。

お気づきですか? これらはすべてサービスです。お金ではありません。

メンバー全員にお金を配ると、そのための財源が必要になりますが、みんなで汗をかく=同じお金を出してみんなに配るのでは意味がありません。

ですから、歴史的には、みんなでひと所にお金を蓄えて、順番に給付を行ったり、必要に応じてそれを借りたりする方法をとりました。大人も、子どもも、みんなに同時にお金を配るという経験はあまり例がないのです。

サービスの場合、メンバー全員が汗をかき、メンバー全員が必要に応じて受益者になります。

必要なときに、必要な人がサービスを利用する。そのための協働は歴史のいたるところで発見することができますし、そうした協働のためにこそ、人々はコミュニティを作ってきたのでした。

みんなが必要とするサービスがあるから、みんなで汗をかき、必要を満たしあう。そんな世界のなかで人びとは共に生き、共に暮らしてきたのです。

お金持ちが受益者になれば格差は広がる?

僕の提案が一風変わったものに見えるのは、お金持ちに対してもサービスを給付するからでしょう。

理屈で考えると、貧しい人たちだけでなく、お金持ちにもサービスを出すわけですから、両者の収入の差がうまらない感じがしますよね。

そうした心配をなくしてくれるのが下図です。

貧しいAさん、ふつうのBさん、お金持ちのCさん、それぞれに定率で税をかけ、等しくサービスを提供してみます。すると最終的に、AさんとCさんの所得格差が小さくなっていることがわかります。

確認したいのは、「お金持ちが税を払い、貧しい人が受益者になる」だけじゃなく、「みなが負担者になり、みなが受益者になる」ことでも所得格差は小さくできるんだ、ということです。

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