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アマゾン、セブンも実践「物流で利益生む」驚く手法 「物流=コストセンター」と考える人に伝えたい事

東洋経済オンライン / 2024年5月2日 18時30分

日本軍は、この兵站を軽視したために、多くの命を失い、戦争に負けるにまで至ったのです。また、海外からの物資を運ぶ運搬船の警護を怠ったため、運搬船がほぼ全滅し、日本国内では、物資不足に喘いだという歴史の事実もあります。

中国の歴史に、「泣いて馬謖を斬る」という有名な言葉があります。これは、有名な参謀である諸葛亮(孔明)が、兵站(ロジスティクス)を無視した戦いを仕掛けた、かわいい部下の馬謖を斬ったという話です。

馬謖は、「あの山には決して登るな」という諸葛亮の指示を無視し、その山に登り、陣を張り、敵に兵站を絶たれて、苦境に立たされました。そのような指揮をした馬謖を、諸葛亮が斬ったのです。

兵站が切られると、食料品が途絶え、兵隊の士気も下がります。そして、大敗を喫してしまうのです。諸葛亮は、兵站(ロジスティクス)を重視した軍師でした。

日本において物流の概念が広まったのは、1960年半ばといわれています。

江戸時代より水運で物を輸送していた日本は、1950年代頃までは陸路は未発達でした。道路も未舗装でガタガタだったため、物を運ぶ際、日数もかかり、物の破損も多く起こっていました。

1950年代に、日本政府は、アメリカに視察団を送り、インフラ整備、輸送・保管機能の重要性を学び、いまでいう物流インフラの拡充の必要性に気づきました。

1970年くらいから、会社名を「〇〇物流」とする会社が増えてきたのと一致します。私の父親が光輝物流を創業したのは、1973年でした。

高度経済成長期には、大量生産で、大ロットの物流が主流で、菅原文太さん主演の映画『トラック野郎』で見られるように、寝る間を惜しんで、トラックを運転するトラックドライバーは、高年収で、かっこいいといわれていました。

広まる「サプライチェーン」という考え方

1980年代後半の日本は量から質の時代に転換し、現代につながる多品種小ロット生産の時代になりました。その結果、多頻度小口配送になり、同時に、売上全体に占める物流費比率が上がり、企業経営を圧迫し始めました。

この時期に、企業内物流は、「個別最適」でなく「全体最適」が必要だといわれ始めました。

その後、1990年代には、世界各国との貿易も活発になり、全体コストの削減がより求められるようになりました。

その結果、原材料の供給元のサプライヤーからメーカー、流通、販売業者までの自社を含む全過程を一気通貫で最も効率よく管理する「サプライチェーンマネジメント(SCM)」という概念および経営手法が大手メーカーを中心に広がり、従来の月次の計画よりも短い週次の計画を立案し、調達・生産・販売を、スムーズにムダなく行う努力をしてきました。

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