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認知症の人が「死ぬ前、普通に話し出す」一体なぜ なかったことにされていた終末期明晰の謎に迫る

東洋経済オンライン / 2024年5月3日 19時0分

もしかしたらあなたも、研究会議の休憩時間や同僚とのランチタイムにその手のことを話題にしたり、パートナーや友人相手に話したりしているかもしれない。けれども、それを自分の主要な発見として学会で発表したり、ましてや論文に書いたりはしないだろう。たとえ書いて学術誌に提出しても、査読を通るとはまず思えない。

一方で、こうした出来事はときとして人を立ち止まらせ、考えにふけらせる。そうして長く考えているうちに、しだいにそれを無視していられなくなる。そしてついには本腰を入れて取り組みはじめ、場合によっては、キャリア全体の方向性にまで影響が及ぶ。それは実際にわたしのキャリアに影響を与えた。

ようやく集まり始めた科学的な関心

しかしたいていの場合、そうした一度きりの体験は顧みられずにいる。同様の出来事を伝える声が目に見えて増え、報告の頻度が増したところで、人はそこに一定のパターンを見はじめ、知らぬふりをしているのはもはや道理に合わないことに遅まきながら気づく。そうして初めて、それらの声はより広い科学的関心を集めるのだ。

実際、最近になって、ようやく研究者たち――フライブルクのミヒャエル・ナーム、クライストチャーチのナース・モード・ホスピスのサンディ・マクラウド、(ニューヨーク州ロチェスターのメイヨー・クリニックに併設する)ロバート・D・アンド・パトリシア・E・カーン・ヘルスケア提供科学センターのジョアン・M・グリフィンの国際研究グループ、そしてブダペストのパズマニー・ペーテルカトリック大学およびウィーン大学のわたしの研究チームなど――が、終末期明晰の事例を体系的に、より詳細に調べはじめている。

過去十数年にわたり、わたしは終末期明晰とはいったい何かを理解しようとし、大量の事例報告を集めてきた。そのデータはいまも増えつつある。それでもまだ、終末期明晰は、どのひとつの事例を取っても謎に包まれている。その理由は、この現象が(臨死体験と同じく)自己の本質にかかわるなんらかの親密で実存的な、さらには精神的(スピリチュアル)な問いに触れるからにほかならない。病気、障害、そして最後に死と、さまざまな変遷をたどる人生の旅路を通じて、自己がいかに自己のままであり続けるのか、あるいはあり続けないのかは、謎のままなのだ。

したがってこれから語るのは、いまだ知られざる、より長い物語のほんの序章にすぎない。とはいえ、それはとっくに語られているべき物語であり、そしておそらくもっと大事なことに、わたしたちが耳を傾けるべき、あまたの個人の物語を含んでいる。

物語とデータ

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