道長の兄「道兼」頂点に君臨後"7日で死去"の衝撃 父である兼家に抱いていた複雑な思いとは
東洋経済オンライン / 2024年5月4日 8時40分
病に倒れた道兼のもとには、藤原実資がやって来ます。実資は日記『小右記』の著者として有名です。
道兼の関白就任の祝いにやってきた実資でしたが、道兼との対面は異様なものでした。母屋の御簾は下され、道兼は床に伏せていたのです。道兼は実資に何やらいろいろと話しますが、言葉は途切れ途切れで、何を喋っているか正確にはわからなかったようです。
ただ、概ね次のようなことを話しているのではと、実資は推測しました。
「気分がとてもすぐれませんので、座敷に出て対面することができず……。こうして伏せながら、物を隔てて申し上げます。
君(実資)のご芳情に対しては、心中、密かに感謝しておりながら、御礼を申し上げずに過ごして参りました。この度、このような身分になりましたので、公私につけて、恩返しできればと思います。
また、事の大小によらず、相談したいと思いますので、無礼とは思いましたが、このように取り乱したところにご案内したのです」。
こう話す道兼の息遣いは、とても苦しそうでした。そのとき、風が吹いて、御簾が吹き上げられます。隙間から見える道兼の姿。その顔は青ざめ、死相が見えたそうです。意識を失ったかのような有様でした。
そうでありながらも、将来のことをいろいろと話す道兼。それは「実に無残」でありましたと『大鏡』には書かれています。
995年4月27日に関白宣下を受けた道兼でしたが、病により、5月8日に亡くなります。余りにも短い関白ということで、道兼は「七日関白」と称されています。
道長の前にライバル立ちはだかる
流行していた疫病による死だと言われています。同じ年、現役の公卿が8人も亡くなっていますが、その多くは疫病とのことです。
道隆・道兼という兄が相次いで亡くなり、いよいよ道長政権の誕生かと思いきや、道長の前にはまだ立ちはだかる壁がありました。それが、道隆の子・藤原伊周だったのです。
(主要参考・引用文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
濱田 浩一郎:歴史学者、作家、評論家
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