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「親が宿題を代行」を先生が怒らなかった納得理由 教育現場は「正論」しか選択してはいけないのか

東洋経済オンライン / 2024年5月5日 12時0分

記憶がよみがえる。母は、運動会になると、深夜まで準備に追われる先生たちが気の毒だと言って、先生全員分のお弁当を作っていた。それだけではなかった。毎週、月曜日の朝には、教室が明るくなるように、と、玄関の前に咲く花を摘んで、持たせてもらっていた。

母が書いた日記をとがめなかった先生

生徒をはさんだ先生と親の交流。この不思議な関係は小学校でも続いた。

小学4年生のことだ。私は、朝の教室で、宿題の日記を書き忘れたことに気づいた。ムダだとは知りながらも、わらにもすがるような思いで日記帳を開いた。するとそこには、昨晩の親子の会話がそのまま書きこまれていた。

母の字だった。昭和1桁生まれで旧字体を使う人だったから、代筆がばれるのは必然だった。それでも私はその日記を提出した。学校で一番きびしい先生だったから、気が気ではなかったが、奇妙にも、先生からは何のおとがめもなかった。

10年の月日が流れた。大学生になった私は、母の店で当時の先生とお酒をご一緒させていただく機会を得た。ずっと不思議に思っていた私は、先生に日記の話をたずねた。先生はしっかりと覚えておられ、こうおっしゃった。

「気づいとったよ。あれは、教師人生、最初で最後のできごとやったね。疲れて日記を忘れる日はみんなある。でも、お母さんは、それを見逃さんで、ちゃんと気づいて代筆なさった。お母さんは必死で子育てされとった。そんなお母さんの気持ちを思ったら、井手くんを叱れるわけがないやろう」

貧しさと闘いながら、私を育ててくれた母。よほどうれしかったのだろう。カウンターの向こうで彼女は泣いていた。そして、目にハンカチをあてながら、<その後の物語>を僕たちに語ってくれた。

それは4年生最後のPTA会合だった。親御さんから先生に「感謝の胴上げを」という声があがった。だが、先生は、「私じゃない。歯を食いしばって子育てをしている井手くんのお母さんを胴上げしてください」とおっしゃったそうだ。

「みんな、『そうしよう!』と言って、胴上げしてもらったとよ」

母は泣きつ、笑いつ、そう言った。先生は照れくさそうにお酒を飲んでおられた。

みなさんは、子どもの習いごとの発表会に足を運ぶ幼稚園の先生をどう思うだろう。先生に弁当を作ったり、花を持たせたりする親をどんな目で見るだろう。子どもの代わりに親が宿題をやる、そんな親を先生がほめ、同級生の親が胴上げをする……。

なんて大らかな時代だったのだろう、と私は思う。つけ届けや過保護を正当化する気はない。先生と親、親と親の<距離感>を聞きたいのだ。

「公平さ」の名のもとに増える禁止事項

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