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歴史が教える企業が政治に関与すべきでない理由 企業の力を社会のために役立てるための指針

東洋経済オンライン / 2024年5月7日 9時0分

要するに、企業は社会に益するために存在してきたのであって、社会を害するために存在してきたのではないということだ。

企業は悪徳の道に進んでしまうのか?

しかし、企業が社会の利益を守るために作られたものだからといって、実際にもそうするとは限らない。

歴史上にはそのような本来の務めを果たさなかった企業の例がいくらでもある。共和政ローマの徴税を請け負っていた企業は、最後には、領民を奴隷にし、元老院に腐敗を招いた。

メディチ銀行は、ギルドから政治的な権力を奪い、メディチ家の個人的な野心のために銀行の資産を流用した。

東インド会社は、インドからボストンまで、世界各地で英国を争いに巻き込んだ。

南北戦争後、ユニオン・パシフィック鉄道は米政府をだまし、貧しい農民たちに法外な運賃を課した。

企業が最後には必ず利欲に目がくらみ、悪徳の道に進んでしまうというのは避けられないことなのか。企業の歴史とは、結局のところ、大きな期待と失望の繰り返しでしかないのか。企業が世界という舞台で果たす役割について、社会はだまされるだけなのか。

そんなことはない、というのがわたしの考えだ。歴史を通じて、企業は人的労力を生産的な事業へ振り向けるのに際立った力を発揮してきた。

ヘンリー・フォードが自動車を開発し、それから20年もせずに、1チームで1日1万台の自動車を生産できる体制を築いたのは、まさに偉業と呼ばれるのにふさわしい。

エクソンの技術者が世界じゅうで油田を探して回り、海底や北極圏の氷に閉ざされた土地から石油を取り出すことに成功したのは、畏怖の念を起こさせる。

マーク・ザッカーバーグのプログラマーチームがフェイスブックを、世界の何十億人というユーザーを抱えるウェブサイトへと育てたのは、壮大すぎて気が遠くなるほどだ。

そこには当然、悪事もあるが、崇高なものもある。企業は、その核心部分においては、協力の大切さ、つまり人々が同じ目標に向かって力を合わせることの大切さの証拠となるものだ。

企業が経済的な奇跡を起こせるのは、人間はひとりで取り組むより、仲間といっしょに取り組むことでより大きなことを成し遂げられるからにほかならない。このことは人間の性質と資本主義の制度を賛美する理由にもなれば、その未来を楽観できる理由にもなる。

企業は政治に関与すべきではない

社会の利益のために企業が作られたのだとしたら、企業がその務めを果たしているかどうかはどのように確かめればいいのか。ここにむずかしさがある。社会の利益とは何かについて、人々の意見ははげしく対立しているからだ。

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