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歴史が教える企業が政治に関与すべきでない理由 企業の力を社会のために役立てるための指針

東洋経済オンライン / 2024年5月7日 9時0分

移民の受け入れを制限するべきだと考える人もいれば、もっと増やすべきだと考える人もいる。富の再分配を推進するべきだと考える人もいれば、そうすべきではないと考える人もいる。

教育を無料にするべきだと考える人もいれば、教育を民営化するべきだと考える人もいる。

企業はこれらの議論に積極的に参加するべきなのか、それとも、利益を追求することが結果的にはいちばん社会への貢献につながると信じて、黙々と利益の追求に励むべきなのか。

企業の歴史からは、これらの問いを考えるうえでのヒントが得られる。

企業が政治に関与すると、身の丈をはるかに超えた大きな役割を担うことになりがちだ。

東インド会社は軍隊を創設して、ベンガル地方を征服したうえ、1世紀以上にわたって、インド亜大陸を統治して、自社の繊維貿易の利益を守ろうとした。

エクソンは数十年にわたり、米国の外交政策と環境規制に影響力を行使した。

現在、フェイスブックのサイトでは、わたしたちが何を見て、何を知るかはフェイスブックのアルゴリズムで決められており、市民の議論はその影響下にある。

ここからいえるのは、企業が社会の価値観を醸成するときには、少なくとも、十分に慎重になるべきであるということだ。企業がすることの影響は、個人がすることの影響とは比べものにならないぐらい大きい。

わたし自身は、企業は政治にはいっさい関わらないようにするべきだと考えている。共通善とは何かに関して、企業になんらかの根本的な知恵があるわけではない。ならば企業は、民主的な政府によって設けられた基準や、あるいはその期待に沿って行動するべきだろう。

遵守すべき資本主義の精神

これは個々の社員が政治に参加すべきではないという意味ではない。むしろ個々の社員は、それぞれひとりの市民として、積極的に政治に参加するべきだ。

政府が労働者や投資家や経済の利益のことを考えるのは、望ましいことだし、不可欠なことだともいえる。創業者も、資本家も、重役も、市民のひとりだ。

しかし、世論を操作したり、社会の目標を定めたりする手段として企業を使ったら、企業の性質を根底から歪め、あくまで共通善を促進するための道具だったものを、共通善とは何であるかを決めるものに変えてしまう。

これは資本主義の精神に反する。プレーヤーが自分に都合のいいように勝手にルールを決められるゲームのようなものだ。そんなゲームは避けるべきだろう。

(翻訳:黒輪篤嗣)

ウィリアム・マグヌソン:テキサスA&Mロースクール教授

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