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上手で流麗な文章が「まるで読まれない」根本原因 珍しいエピソードよりも熱烈に意識すべきこと

東洋経済オンライン / 2024年5月15日 15時0分

「なんらかの魚の水槽になんらかの調味料をいれてしまい、でもなんらかの魚は無事だった。ほっと一息」という出来の悪い暗号みたいなコラムに仕上がってしまったのだ。

「引き算」で書く文章には限界がある

このエピソードから伝えたいことが見えてくる。これは、なにもこの社内報に限ったことではなく、そして珍しい話でもなく、多くのメディアで起こっていることだ。

書いたら炎上しそうなこと、クレームがきそうなこと、それらを過度に避ける傾向が昨今のメディアに存在する。書き手も書いたら面倒なことになりそうなもの、クレームがきそうなもの、炎上しそうなものを無意識に避けて書くようになっている。もはや書き手は書きたいものを書いているのではなく、書きたいものから書けないものを間引いて書いている。引き算で書いているのだ。

このような主張につなげることで、グッピーの水槽にコンソメを入れたエピソードも、その後の社内報が完膚なきまでに修正されて意味不明な暗号になってしまったことも生きてくる。

これはBooks&Appsというサイトにある「職場で『わたしのコンソメスープ』という意味不明コラムを書かされた時のこと。」というコラムを書いたときの実際の構成手順だ。

この文章で最も伝えたいことは「多くの書き手は引き算で書いている」という点だ。それらは当たり前のように蔓延しているけど、それってどうなの? という問いかけだ。

これがない場合、グッピーをコンソメスープにしたというおもしろエピソードと、社内報を死ぬほど修正されて意味不明な暗号になったというおもしろエピソードだけが存在する。確かにおもしろいと感じてもらえる可能性はあるけれども、それまで止まりの文章となる。

逆に、伝えたい事象だけを書いても伝わらない。いきなり「好きなことを書いていない! もう引き算だ!」と書いても共感してもらえないし、いきなり何いってんだとなる。狂ったかと思われる可能性もある。

「何を伝えたいか」を強烈に意識する必要がある

このように、何を伝えたいかから組み立てはじめ、それを補強するエピソードを記述していく、そうすることで伝えたいこともエピソードもどちらも伝わりやすくなるのだ。「とにかく書きたい」で書かれた文章はとにかく伝わりづらい。

なぜなら書くことでほとんど完結してしまっているからだ。これが「とにかく伝えたい」になると、どう書けば伝わるのかを考えるようになる。

伝えるためには上手な文章が必要と感じたのなら、練習すればいい。アッと驚く構成が必要と感じたのなら、試行錯誤して作っていけばいい。いきなりそれをするのは難しいかもしれないが、そういった過程を経て作っていれば、伝わりやすい文章はできる。

文章の練習をいくらしても、たぶん伝わるようにはならない。伝える練習をしなくてはならないのだ。そのためには何を伝えたいかを強烈に意識する必要がある。

「何を伝えたいか」

真っ白なメモ帳を前にして、まずそれを書き始めることから始めよう。伝えることは書くことより大切であり、伝えたいことがないなら、べつに無理して書く必要はないのだ。

pato(ぱと):ライター、「Numeri」管理人

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