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「働き口がない」早稲田院卒55歳男性のジレンマ 美しい文章を操る能力と「振る舞い」のギャップ

東洋経済オンライン / 2024年5月17日 7時40分

小学校のころはたびたびいじめに遭った。このため中学からは中高一貫の進学校に入学。いじめは収まったものの、友人は少なかった。その分勉強に精を出し、早稲田大学第一文学部へと進む。卒業後は新聞社の校閲記者として働き始めた。

「本当は大学院に進み研究者になりたかったんです。でも、何社か試験を受けたところ、一社だけ合格したので就職することにしました」

しかし、職場では連日のようにミスを繰り返したという。元原稿と印刷された紙面との間の間違いなどを見つける仕事で、3と8、6と9といった外形が似た数字を取り違えてしまう。その結果、電話番号や日付、数字の多いスポーツ面などの誤りをたびたび見落とした。先輩記者からはそのたびに「何カ月この仕事、やってんだ!」「このままじゃ一面は任せられない」と叱責されたという。

ケイスケさんが関心のある宗教や文化関連の紙面を優先的に担当させてもらうなどしたものの、結局うつ状態となり2年余りで退職。あらためて大学院に進学し、念願だった日中の仏教史を専攻する。台湾への留学を経て30代なかばで博士号を取得した。

大学院修了後は自身の専門分野とは違うものの、台湾の大学で日本語を教える専任教員の仕事を得る。しかし、ここでも職場での評価は厳しかった。ケイスケさんにとっては文法を体系的に教えることが難しかったという。学生からは「文法の細かい部分を教えてもらえない」「授業中に仏教の話をしないでほしい」などと酷評されることもあった。ここでは5年ほど勤めた後、任期途中でリストラされてしまう。

ケイスケさんが興味のあるものに傾ける情熱はすさまじい。台湾で仏教史の研究をするにあたり、現地で使われている繁体字を習得するため、青山霊園や谷中霊園に通い詰め、漢文で書かれた墓誌を書き写した。一方で日本語を教えるノウハウを身に付けるための努力は十分ではなかったと、ケイスケさんは認める。「大学の近くに仏教関係の書籍を出版する会社があり、(空いている時間は)そこに通うようになりました。自分の好きな分野の付き合いに没頭してしまったんです」と打ち明ける。

ミスを連発し、仲間から暴言をあびた

帰国後は住職がいない無住寺院の管理人になろうと、所定の寺院で修行を行ったものの、体を使う作業が多いゆえにミスを連発。仏前に備えるお膳を落としたり、ほうきを使うときの力加減がわからず、庭の落ち葉だけでなく砂利まで集めてしまったり。自分の子どもほど年齢の離れた修行仲間からは「のろま」「クズ」「殺すぞ」といった暴言をあびた。

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