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「逃れようのない宿縁」、光君と藤壺が犯した大罪 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・若紫⑥

東洋経済オンライン / 2024年5月19日 17時0分

積もる思いのどれほどを言い尽くすことができようか。暗いと名のついたくらぶ山なら、いつまでも夜が明けないだろうから、そこに泊まりたいところだけれど、その願いに反して夜は短く、逢わないほうがよかったとさえ思えるつらい逢瀬である。

見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちにやがてまぎるるわが身ともがな
(こうしてお逢いしても、ふたたびお目にかかれる夜はめったにない、夢のような逢瀬ですから、いっそこのまま夢の中に消えてしまいたい)

と涙にむせる光君に、さすがに藤壺も感極まって、

世語りに人や伝へむたぐひなく憂(う)き身をさめぬ夢になしても
(世間の語り草として人は語り伝えていくのではないでしょうか、自分では、この上なく不幸せな我が身を、さめることのない夢の中のものと思ってみても)

と返し、心は千々に乱れている様子である。それもまたもっともで、畏れ多いことである。

王命婦は脱ぎ捨てられた直衣(のうし)を搔き集め、呆然(ぼうぜん)と悲しみに暮れている光君に渡し、無言で帰りを促す。

自分の犯した罪の重さに震え上がる

自邸の二条院に帰った光君は、それから横たわって泣いてばかりいた。藤壺の宮に手紙を送るも、いつものように王命婦から、ご覧になろうともなさいませんとの返事ばかりがある。わかっていながらもひたすらに苦しく、正気ではないほど悲しみ、宮中へも参上せずに二、三日引きこもったままでいる。また具合でも悪いのかと帝が心配しているだろうと思い、そして自分の犯した罪の重さに光君は震え上がる。藤壺の宮もまた、なんとあさましい身の上だろうかとひたすら嘆き、どんどん具合も悪くなってきて、宮中から早く参内(さんだい)なさるようにとしきりにお使いが呼びにくるけれど、とてもそんな気持ちにはなれない。その具合の悪さもいつもとは異なり、どうしたことだろうと思いながらも、思いあたることがないわけではなく、ただならぬ不安を覚え、これからいったいどうなってしまうのかと藤壺は深く思い悩んでいる。暑いうちは起き上がることもままならない。

三月(みつき)にもなると、懐妊したことが人目にもはっきりとわかるようになり、お付きの女房たちもだんだんと気づきはじめてくる。なんとおそろしい因果だろうと藤壺は我が身を情けなく思わずにはいられない。

お仕えする女房たちは、まさかお腹の子の父が源氏の君だなどとは思いもせず、この月になるまで帝にご報告なさらなかったとは、と意外に思っている。藤壺の宮だけは、父はだれかということがわかっていた。お湯殿でも身近に仕え、何ごとも様子をはっきりわかっている乳母子(めのとご)の弁や王命婦は、これはただごとではないと思うけれども、互いに口にすべきことでもないので黙っている。王命婦は、どうしても逃れようのなかった藤壺と光君の宿縁を思い、なんということだろうかと内心で驚きおそれている。帝には、藤壺に取り憑ついていた物(もの)の怪(け)のせいではっきりせず、すぐには懐妊の兆候もあらわれなかったので、なかなかわからなかったと奏上したようである。女房たちもそれを信じた。帝は身ごもった藤壺をいっそういとしくだいじに思い、お見舞いの勅使をひっきりなしに送ってくるが、藤壺の宮はそれもまたひたすらおそろしく、あれこれと思い悩んで心の休まる時もない。

藤壺に逢いたい旨を訴えるが

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